太宰 治の年譜



明治42年(1909年)誕生
 6月19日、青森県北津軽郡金木村大字金木字朝日山414に、父津島源右衛門、母夕子(たね)の6男として生まれる。
 11人兄弟中10番目の子供であった。戸籍名は津島修治。当時、津島家は屋号を∧源(やまげん)といい、県下屈指の大地
 主で父は地方名士として活躍していた。親族に住み込み使用人を加えると、30人以上が同居していた。
 母が病弱のため、生後すぐから乳母に、離乳後は叔母キエに育てられる。

 世相 伊藤博文ハルピンで暗殺される。

明治44年(1911年)2歳
 昼間は使用人である近村タケにお守りをされ、夜はキエの部屋で寝るようになる。これが6歳まで続いた。 

明治45年・大正元年(1912年)3歳
 長姉のタマが死去。父が衆議院議員当選。弟の礼治が誕生した。

 世相 明治天皇崩御、大正に改元される。

大正5年(1916年)7歳
 1月、叔母キエの一家が北津軽郡五所川原町に分家した。4月、金木第一尋常小学校入学。成績は優秀であった。

大正6年(1917年)8歳
 たけが、叔母キエの家の女中となって金木を去る。

大正7年(1918年)9歳
 たけが、北津軽郡小泊村の越野正代に嫁いだ。

大正11年(1922年)13歳
 3月、金木第一尋常小学校を全甲首席で卒業し、4月、学力補充のため四ヵ村(金木と隣接三ヵ村)組合明治立高等小学校に
 1年間通学する。父が貴族院議員(多額納税)に選出される。

 世相 日本共産党が極秘裏に結成される。

大正12年(1923年)14歳
 3月、父が東京で死去。4月青森県立青森中学校に入学。青森市内の遠縁の家より通学。

 世相 関東大震災起きる。

大正14年(1925年)16歳
 この頃より作家を志望し、級友との同人雑誌「蜃気楼」等に小説、戯曲、エッセイを発表。

 世相 治安維持法、普通選挙法公布。ラジオ放送開始される。

大正15年・昭和元年(1926年)17歳
 「蜃気楼」に創作を積極的に発表。三兄圭治の提唱で、圭治、修治の兄弟が中心となって「青んぼ」を創刊。
 実家の使用人である宮越トキ(後の作品『思い出』の「みよ」のモデル)に恋情を抱く。

 世相 大正天皇崩御、昭和に改元される。

昭和2年(1927年)18歳
 4月、中学校を修了し、弘前高等学校文科甲類に入学。7月心酔していた芥川龍之介の自殺に大きな衝撃を受け学業を放棄し
 義太夫を習い、花柳界に出入りする。9月、芸妓の小山初代(おやまはつよ)と知り合う。

 世相 金融恐慌。

昭和3年(1928年)19歳
 5月、同人雑誌「細胞文芸」を創刊し、辻島衆二の筆名で『無間奈落』(未完)を発表。9月、4号で廃刊するまで井伏鱒二
 舟橋聖一、林房雄ら中央作家からの寄稿も得る。

 世相 最初の衆議院議員普通選挙。張作霖爆死事件。

昭和4年(1929年)20歳
 弟の礼治が病気で死去。「弘高新聞」や同人誌に作品を発表。秋頃から急激に左翼思想に傾斜する。自己の出身階級に悩んで
 12月10日深夜、下宿でカルモチン(睡眠薬の一種)による自殺を図るが失敗。(1回目の自殺未遂)

 世相 プロレタリア文学の隆盛。

昭和5年(1930年)21歳
 3月、弘前高等学校を卒業。4月、東京帝国大学仏文科に入学。6月、井伏鱒二に初めて会い以後師事する。
 7月、『学生群』を青森地方の同人誌「座標」に発表(11月まで連載して中断)。この頃より非合法運動に関係。秋、小山
 初代が上京して来たが、長兄文治が上京し、生家からの分家を条件に初代との結婚を承諾。初代はひとまず帰郷する。
 11月、銀座のカフェの女給である、田部あつみ(本名シメ子、19歳の人妻)を知り、3日間共に過ごしたのち、神奈川県
 腰越町小動崎の畳岩の上でカルモチン心中を図ったが、田部シメ子のみ絶命。自殺幇助罪に問われたが、起訴猶予となる。
 (2回目の自殺未遂)

昭和6年(1931年)22歳
 2月、再び上京した初代と同棲。反帝国主義学生同盟に加わり、非合法運動を積極的に続け、また、朱麟堂(しゅりんどう)
 と号して俳句に凝るなどで、大学にはほとんど行かなかった。

 世相 満州事変。 

昭和7年(1932年)23歳
 春、非合法運動のため転々と居を移す。6月、同棲以前の初代の過失を知りショックを受ける。7月、非合法運動を放棄し、
 青森警察署に自首、1ヶ月留置される、この頃から『思い出』を書き始める。12月、青森検事局から呼ばれる。

 世相 満州国設立。5・15事件起きる。

昭和8年(1933年)24歳
 2月、初めて太宰治の筆名を用いて、『列車』を「サンデー東奥」に発表。3月、古谷綱武、今官一、木山捷平などが始めた
 同人雑誌「海豹」に参加し、創刊号に『魚服記』を発表。この頃、檀一雄。伊馬鵜平(春部)、中村地平等を知る。
 作品
  『列車』、『魚服記』、『思い出』

 世相 国際連盟脱退。

昭9和年(1934年)25歳
 12月、檀一雄、木山捷平、中原中也、津村信夫、山岸外史等と同人雑誌「青い花」を創刊。創刊号だけで廃刊となり、翌
 10年3月、「日本浪漫派」に合流。
 作品
  『葉』、『猿面冠者』、『彼は昔の彼ならず』、『ロマネスク』

 世相 ワシントン海軍軍縮条約破棄。

昭10和年(1935年)26歳
 2月、『逆行』を「文芸」に発表、同人雑誌以外に発表した最初の作品である。3月、大学卒業が絶望とわかり(半年後に授
 業料未納で除籍)都新聞社の入社試験に落ち、同月17日夜、鎌倉の山中で縊死(首吊り自殺)を企てるが失敗。(3回目の
 自殺未遂)4月、盲腸炎で入院。手術後腹膜炎を起し、鎮痛のため使用したパビナールのため、以後中毒に悩む。
 8月、『逆行』が第1回芥川賞候補となったが、次点。川端康成の選評に抗議して『川端康成へ』を発表。佐藤春夫を知り、
 以後師事する。京城にいる田中英光と手紙による交遊関係が始まる。
 作品
  『逆行』、『道化の華』、『玩具』、『雀こ』、『もの思う葦』、『猿ヶ島』、『ダス・ゲマイネ』、『地球図』

 世相 天皇機関説問題化。

昭和11年(1936年)27歳
 2月、パビナール中毒が進行し、芝の済生会病院に入院するが、全治せぬまま1ヶ月足らずで退院。6月、砂子書房より処女
 創作集『晩年』を刊行。8月、パビナール中毒と肺病治療のため赴いた群馬県谷川温泉で、第3回芥川賞選考で「すでに新人
 に非ず」と最終候補からはずされ事を知り打撃を受ける。10月、井伏鱒二らの勧めにより、江古田の武蔵野病院に1ヶ月入
 院し、パビナール中毒を根治する。
 作品
  『碧眼托鉢』、『めくら草紙』、『陰火』、『雌について』、『虚構の春』、『狂言の神』、『創世記』、『喝采』
   処女創作集『晩年』

 世相 2・26事件起きる。

昭和12年(1937年)28歳
 3月、小山初代と谷川岳山麓の水上温泉でカルモチンによる自殺を図るが失敗。(4回目の自殺未遂)帰京後、初代と分かれ
 る。この年から翌年にかけ、時折エッセイを書くほかは、ほとんど筆を絶つ。
 作品
  『二十世紀旗手』、『HUMAN LOST』、『燈籠』

 世相 日中戦争勃発。

昭和13年(1938年)29歳
 7月、ようやく沈滞から脱し『姥捨』を書き始める。9月、山梨県御坂峠の天下茶屋に行き、長編『火の鳥』の執筆に専念し
 たが、結局この小説は未完に終わる。11月、井伏鱒二が親代わりになって、都留高等女学校の教師・石原美知子(26歳)
 と見合いし婚約。
 作品
  『満顔』、『姥捨』

 世相 国家総動員法公布。

昭和14年(1939年)30歳
 1月、井伏家で結婚式をあげ、甲府市御崎町の新居に移る。4月、『黄金風景』が「国民新聞」の短編小説コンクールに当選
 する。9月、東京府下三鷹村下連雀113に転居、終戦前後を除き死ぬまでここに住んだ。
 作品
  『富嶽百景』、『I can speak』、『黄金風景』、『女生徒』、『懶惰の歌留多』、『葉桜と魔笛』、『八十八夜』
  『座興に非ず』、『畜犬談』、『美少女』、『ア、秋』、『おしゃれ童子』、『皮膚と心』
   書き下ろし短編集『愛と死について』、短編集『女生徒』

 世相 第二次世界大戦勃発。

昭和15年(1940年)31歳
 12月、第1回「阿佐ヶ谷会」(中央線沿線在住文士の親睦会)に出席、以後もしばしばこの会合に出る。
 単行本『女生徒』が第4回北村透谷賞の副賞に選ばれる。
 作品
  『女人訓戒』、『俗天使』、『鴎』、『春の盗賊』、『女の決闘』、『美しい兄たち』、『駈込み訴え』
  『老ハイデルベルヒ』、『善蔵を思う』、『誰も知らぬ』、『走れメロス』、『古典風』、『盲人独笑』、『乞食学生』
  『一燈』『きりぎりす』、『ある画家の母』、『ろまん燈籠』
   短編集『皮膚と心』、短編集『思い出』、短編集『女の決闘』

 世相 日独伊三国同盟成立。

昭和16年(1941年)32歳
 2月、懸案の長編小説『新ハムレット』の執筆を始め、5月、完成。6月、長女園子誕生。8月、母の病気見舞いのため、
 10年ぶりに郷里金木町に帰る。9月、太田静子(27歳)が友人と共に太宰家を初めて訪問。11月、文士徴用を受けたが
 胸部疾患のため免除される。
 作品
  『清貧譚』、『みみずく通信』、『東京八景』、『佐渡』、『服装について』、『千代女』、『令嬢アユ』、『誰』
  『風の便り』
   短編集『東京八景』、書き下ろし長編『新ハムレット』、短編集『千代女』、限定版『駈込み訴え』

 世相 太平洋戦争勃発。

昭和17年(1942年)33歳
 10月、『花火』を「文芸」に発表したが、時局に添わないという理由で全文削除を命ぜられる。21年11月の『薄明』
 (短編集、新紀元社)に『日の出前』と改題して収録 される。12月、母死去、単身帰郷。
 作品
  『恥』、『新郎』、『十二月八日』、『律子と貞子』、『水仙』、『小さいアルバム』、『花火』
   短編集『風の便り』、短編集『老ハイデベルトヒ』、書き下ろし長編『正義と微笑』、短編集『女性』、
   エッセイ集『文藻信天翁』

 世相 ミッドウェイ海戦

昭和18年(1943年)34歳
 3月、甲府に赴き、前年末より執筆中の『右大臣実朝』を完成。10月、『雲雀の声』を完成したが、検閲不許可のおそれが
 るため出版を延期。翌年、ようやく出版の運びとなったが、印刷所が空襲に遭い発行間際の本が焼失。
 20年に発表された『パンドラの匣』はこの作品の校正刷をもとにして執筆されたものである。
 作品
  『故郷』、『黄村言行録』、『禁酒の心』、『鉄面皮』、『帰去来』、『不審庵』、『作家の手帖』
   短編集『富嶽百景』、書き下ろし長編『右大臣実朝』

 世相 学徒動員始まる。

昭和19年(1944年)35歳
 5月、『津軽』執筆のため津軽地方を旅行。8月、長男正樹誕生。12月、情報局と文学報国会の依頼で『惜別』を書くため
 仙台に赴き、魯迅の仙台在留当時のことを調査。
 作品
  『佳日』、『散華』、『雪の夜の話』、『東京だより』
   短編集『佳日』、書き下ろし長編『津軽』

昭和20年(1945年)36歳
 3月、空襲下の東京で『お伽草子』を執筆し始め、6月、完成。4月、爆撃に遭い家が損壊したため、婦人の実家である甲府
 の石原家に疎開。7月、爆撃のため甲府の石原家も全焼し、妻子を連れかろうじて津軽の生家へたどりつく。
 終戦。農地改革の命令で津島家の没落が始まる。
 作品
  『竹青』、『パンドラの匣』
   短編集『新釈諸国噺』、書き下ろし長編『惜別』、書き下ろし『お伽草子』

 世相 広島、長崎に原爆投下される。ソ連参戦。ポツダム宣言受諾。

昭和21年(1946年)37歳
 11月、約1年半の疎開から、妻子と共に三鷹の自宅に帰る。坂口安吾、織田作之助と「改造」の座談会に出席したが、同誌
 には掲載されず、その後「文芸、太宰治読本」(31年)に掲載される。12月、『冬の花火』の上演がマッカーサー司令部
 の意向により中止される。坂口安吾、織田作之助、平野譲との座談会”現代文学を語る”が行われ、翌年4月「文学季刊」に
 掲載される。
 作品
  『庭』、『親という二字』、『嘘』、『貨幣』、『やんぬる哉』、『十五年間』、『未帰還の友に』、『冬の花火』
  『苦悩の年鑑』、『チャンス』、『春の枯葉』、『雀』、『たずねびと』、『親友交歓』、『男女同権』
   単行本『パンドラの匣』、短編集『薄明』

 世相 天皇人間宣言。第一次農地改革実施。極東軍事裁判開始。日本国憲法公布。

昭和22年(1947年)38歳
 2月、神奈川県下曽我に太田静子を訪ね、1週間滞在の後、田中英光が疎開していた伊豆の三津浜に行き、3月上旬までかか
 って、太田静子の日記をもとに『斜陽』の一、二章を書く。3月、次女里子(作家・津島佑子)誕生。三鷹駅前の屋台で戦争
 未亡人の山崎富栄(28歳)と知り合う。4月、新たに借りた三鷹の仕事部屋で『斜陽』を書きつづけ、6月に完成。
 11月、太田静子との間に誕生した女児を認知し、治子(作家・太田治子)と命名。単行本の『斜陽』(新潮社)がベストセ
 ラーとなる。
 作品
  『トカトントン』、『メリイクリスマス』、『母』、『ヴィヨンの妻』、『父』、『女神』、『フォスフォレッセンス』
  『朝』、『斜陽』、『おさん』
   作品集『冬の花火』、短編集『ヴィヨンの妻』、単行本『斜陽』

 世相 第一回国会開会。教育基本法、学校教育法公布。

昭和23年(1948年)39歳
 3月から5月にかけ『人間失格』を執筆、この頃、疲労がはなはだしく、不眠症もつのり、しばしば喀血した。4月、八雲書
 店より『太宰治全集』が刊行され始める。6月13日夜半、『グッド・バイ』の草稿、遺書数通、伊馬春部に遺した歌などを
 机辺に残し、山崎富栄と共に玉川上水に入水。19日、遺体が発見され、21日、葬儀委員長豊島与志雄、副委員長井伏鱒二
 等によって告別式が行われた。7月、三鷹の禅林寺に埋葬される。
 作品
  『犯人』、『酒の追憶』、『饗応婦人』、『眉山』、『美男子と煙草』、『如是我聞』、『渡り鳥』、『女類』
  『桜桃』、『人間失格』、『グッド・バイ』、『家庭の幸福』
   単行本『人間失格』、短編集『桜桃』、エッセイ集『如是我聞』

 世相 極東軍事裁判判決。経済安定9原則。


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