太宰 治 明治42年(1909年)〜昭和23年(1948年)
本名・津島修治 明治42年(1909年)、青森県北津軽郡金木村の大地主の家に生まれる。
『逆行』で第一回芥川賞候補になった後、沈滞した時期もあったが、昭和14年の石原美知子
と結婚後、『富嶽百景』『走れメロス』『津 軽』など秀作を次々と発表。
昭和14年『満願』が国民新聞の短編小説コンクールに当選、昭和15年短編集『女生徒』が北村透谷文学賞
の副賞に選ばれた。
戦時中も創作意欲は衰えることを知らなかったが、戦後『ヴィヨンの妻』『斜 陽』で流行作家となった。
学生時代の左翼運動の挫折に加え、4度の自殺未遂とパビナール中毒による自虐的な苦しみが作品に影を落とし、
道化的精神を含む独特の文体が特徴。無頼派、新戯作派と呼ばれた。
昭和23年(1948年)6月13日夜半、山崎富栄とともに玉川上水に入水。遺体は19日に発見された。
毎年6月19日には、「桜桃忌」が東京都三鷹下連雀の禅林寺で行われている。
太宰治の人気は衰え知らず、今でも代表作『人間失格』(新潮文庫)は年間10万部を売り上げ、最近の桜桃忌
でも1日千人近くの人が墓参に訪れる。
代表作:斜 陽、人間失格、走れメロス、駈込み訴え、富嶽百景、ヴィヨンの妻、女生徒