以上挙げた二十五箇所の中で、私には千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。私はそこで、 「ダス・ゲマイネ」というのや、また「虚構の春」などという作品を書いた。どうしても その家から引き上げなければならなくなった日に、私は、たのむ!もう一晩この家に寝か せて下さい、玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、と或る人にた のんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない。 『十五年間』 |
太宰治の植えた夾竹桃
太宰治の碑 大きいの 立て札 大きいの |
私がこの土地に移り住んだのは昭和十年の七月の一日である。八月の中ごろ、私はお隣の 庭の、三本の夾竹桃にふらふら心をひかれた。欲しいと思った。私は家人に言いつけて、 どれでもいいから一本、ゆずって下さるよう、お隣へたのみに行かせた。 『めくら草紙』 |
大きいの |
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