太宰治の作品 ユーモア



お伽草子 乞食学生 鉄面皮 佐 渡 禁酒の心 畜犬談

 お伽草子 昭和20年(1945年) 新潮文庫『お伽草子』収載
 
  ○「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」と日本人なら誰でも知っている昔話を、太宰治流にアレンジした作品
   です。奥野健男氏は「太宰の全作品の中の最高の作と考える。」と最高級に賛辞しており、『斜陽』など太宰治の翻訳で
   知られるドナルド・キーン氏もまた「最も完璧な芸術作品」と褒め称えており、太宰治の作品の中では珍しく高い評価ば
   かりが目立つ作品です。
   書き出しからユーモアに富んでいるとともに、「浦島さん」の中の竜宮の表現は、神秘的で壮大なものを感じさせ、
   「カチカチ山」での兎を「十六歳の処女だ」とした奇抜さには、太宰治の底知れない才能を感じます。
   太宰治に良い思い出のない編集者の杉森久英氏が、太宰治の死後この作品を読み、「そうか、君はこういう物を書く人だ
   ったのか。こんなにやさしい、傷つきやすい人だったのか。こんなにさわやかな知恵をそなえた人だったのか」という言
   葉が全てを物語っているのではないでしょうか。
   なお「カチカチ山」のモデルと言われている河口湖町の天上山中腹には、この作品における名セリフ「惚れたが悪いか」
   が刻まれた、太宰治記念碑が建立されています。

お伽草子 初版本


 乞食学生 昭和15年(1940年) 新潮文庫『新ハムレット』収載
 
  ○この作品は、きっとあまり有名でなく、また問題視されていないと思います。その証拠に評論が見あたりません。
   冒頭は作家としての太宰治が小説を書き、「雑誌社に送ってしまった後の苦悶について」を自分の心理を表現しつつ、編
   輯者の失望、印刷所での熟練工の思い、使い走りの小僧の笑いまで想像して書いており、妙に納得してしまいます。
   作品をポストに投函した後、太宰治が玉川上水に行き、少年と出会い、簡単に書けば、その少年のために一肌脱ぐという
   ストーリーです。
   面白いのは、少年佐伯と太宰治の会話、佐伯の友人である熊本から制服を借りた時の描写で、思わず笑ってしまいます。
   その一方で「宵の渋谷の街を酔って歩いて、失った青春を再び、現実に取り戻し得たと思った。」とあり、太宰治は青春
   を取り戻したいという願望があったのでしょうか。
   エピグラフと作品の中にフランソワ・ヴィヨンの詩が使われており『ヴィヨンの妻』を考えれば、興味深いです。 
   なお三鷹市玉川上水に沿った道路脇に、この作品の玉川上水を描写した部分が刻まれたプレートがあります。
   あまり太宰治に関する物を見ていない私ですが、このプレートは見ました。


 鉄面皮 昭和18年(1943年) 新潮文庫『ろまん燈籠』収載
 
  ○この作品もきっとあまり有名でないと思います。『右大臣実朝』の執筆最中であった太宰治が、船橋聖一氏との約束を果
   たすため書いた作品ですが、美知子夫人によれば「三鷹のわが家に、「実朝」であけくれた「実朝時代」とでもいうべき
   時期があった。」と回想しているように、太宰治の頭から「実朝」の事が離れず、この作品の前半部分は『右大臣実朝』
   の予告編のようなものになっています。
   太宰治のユーモアが発揮されているのは、後半部分の在郷軍人の分会査閲に参加した際の描写です。
   実際にあった話を基にしているらしいですが、そんな何気ない日常を面白おかしく創作し、小説にしてしまう作家、それ
   が太宰治なのです。


 佐 渡 昭和16年(1941年) 新潮文庫『きりぎりす』収載
 
  ○太宰治がきっと一生で一度きりの、知らない遠い土地、佐渡への一人旅の事を書いた作品です。
   私は、数年前に読んだ切り読み直していないので、詳しく内容を覚えていません。「おいおい、ホームページにするくら
   いなら読み直せばぁ〜」と言われれば、おっしゃるとおりだと思います。。。(爆)
   しかし、何故この作品が印象に残っているかというと、私は中学生時代に『走れメロス』を読み(教科書に載っているか
   ら当たり前)、当時通っていた塾の先生が「太宰治は女性と心中して、太宰の履き物だけバラバラだった。」みたいな話
   を聞き、太宰治ってとんでもない男だ、などど思い、高校生時代には夏休みの課題か何かで『人間失格』を読みましたが
   何を書いているのか全然理解出来ず、太宰治を特段好きにもならず「暗いなぁ」という、よくありがちな印象しか残らず
   まぁ、当時の私は推理小説ばかりを読んでおり、日本の文学作品など一切興味がなかったのであります。
   そして月日は流れ、社会人になった頃のある日、妻の実家の書棚にあった新潮文庫の『きりぎりす』というタイトルに心
   を引かれ、読んだのですが、その中に『佐渡』があったというわけです。
   話がどんどん逸れてしまいましたが、さて、本題の何故印象に残ったというところに話を戻しますと、面白いからです。
   余計な話を書いてしまって長くなりましたので、ここまでにしておきます。本当に面白いので読んでみてください。


 禁酒の心 昭和18年(1943年) 新潮文庫『ろまん燈籠』収載
 
  ○「えぇ〜?こんなの太宰にあったっけ?」と思う太宰治ファンもいるほど、マイナーな作品だと思います。
   おまけに文庫本だと6ページという短さですから、印象に残りづらいのも無理がないと言えるのかもしれません。
   しかし、私は太宰治のこういう「隠れた名作」とでも言うべき作品も好きなのです。
   戦時中の物資不足のおり、酒についても当然不足し、配給で少ない量しか入手出来ないので「禁酒しよう」という思いか
   ら物語は始まります。誰かが訪ねて来た時の太宰治の態度が、思わず吹き出しそうなくらい面白いです。
   また、この作品で書いている心理は、現代においても誰しも持ち合わせているのではないかと思え、太宰治の作品が今で
   も古くささを感じさせないのは、いつの時代でも変わらない人間の心理を追求したからではないでしょうか。


 畜犬談 昭和14年(1939年) 新潮文庫『きりぎりす』収載
 
  ○これは結構有名な作品で、太宰治をある程度読んだ方なら知っていると思います。
   簡単に書けば、「犬がとにかく嫌いだ」ということです。
   私は、きっとこの作品に書かれている事は、「虚構の名人」とも言われた太宰治ですから、全くのデタラメだと思ってい
   ました。しかし、美知子夫人の『回想の太宰治』によると「犬のことでは驚いた。」と書いているほどの犬嫌いだったよ
   うです。
   「私は、犬に就いては自信がある。いつの日か、必ず喰いつかれるであろうという自身である。」という書き出しから、
   「犬は猛獣である。」と断定し、当時太宰治が住んでいた甲府が「どこへ行っても犬がいる。」ことから、「私は、まじ
   めに、真剣に、対策を考えた。私はまず犬の心理を研究した。」のです。
   ついて来た犬にポチと名前をつけたり、殺そうと思っているポチが他の犬と喧嘩になった時に応援したりして、笑いを誘
   います。たかが犬について(犬に失礼か?)ここまで書けるのは、さすが太宰治です。
   最後の方の「芸術家は、もともと弱い者の味方だった筈なんだ。」は、太宰治の本音ではないでしょうか。


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