太宰治展、初日(18日)に行って来ましたぁぁぁぁぁ!!!
とにかく一言で書けばめちゃくちゃ良かった!!ですぅ〜。 |
三鷹市・三鷹市教育委員会 | |
(財)日本近代文学館 | |
渡部 芳紀(中央大学文学部教授) | |
三鷹市芸術文化センター 展示室 | |
平成10年11月18日(水)〜29日(日)(24・25日休館) | |
午前10時〜午後8時 | |
無料 | |
『ヴィヨンの妻』などの原稿、『斜陽』『人間失格』などの草稿
マント、表札、袷(久留米絣)などの遺品 書簡、絵画、ノートなど 三鷹の仕事部屋再現(旧中鉢家) |
平成10年11月18日(水) マッチのレポート |
9時過ぎ JR三鷹駅到着 |
時間が早いので、太宰治が写真を撮った陸橋を見に行く。思っていたより遠かった。500mくらいだけどね。。。(笑)
やはり、陸橋なんか最近はあまり使わないのか、人通りは少なかった。 陸橋の近くの太宰治の仕事場、西山家跡を見る。『斜陽』の第6章をここで書いたとのこと。今は更地になっている。 次に太宰治の仕事場、中鉢家跡を探すが今一わからず。後でもう一度確認してわかった。今はマンション建築中。 ここでは、『ヴィヨンの妻』の前半などを書いたとのこと。また『朝』は、ここが舞台になっている作品。 時間が迫って来たので、芸術文化センターに向かう。 |
10時5分頃 芸術文化センター到着 |
早く着きすぎて誰もいないと恥ずかしいなぁ、などと思っていたのですが、考え過ぎでした。。。(爆)
私がセンターに着いた時には、既に会場内に50人くらいはいたと思う。 まず感じた事は、会場内にいた方は高齢の方ばっかりということ。30代は私だけだったと思う。 後から、学生風の男女が何人も来たので、太宰治ファンの幅広さを痛感した。 まず受付でカタログを購入。人から頼まれていた分もあるので、何冊も買うの大丈夫かなと思ったが、何ともなかった。 会場内に入るとマイクで話している声が聞こえてくるので、そちらに向かう。 マイクを持って説明している男性は、ほうき星さんだと直感する。説明を聞いている内に間違いないことを確信する。 十数人の人を引き連れて、展示されている物に沿って、説明されていた。説明を聞いている方々は、三鷹市あるいは金木町 の議員さんとみた。(笑)私もその中に混ざってノートにメモしながら、説明を聞く。(爆) ふと隣に立っている高貴な感じのする夫人を見ると、どこかで見たことある人。太宰治の長女である津島園子さんであった。 話しかけてみようかと思ったが、よく考えると何話して良いのかわからず(笑)、何となく恐そうな感じがしたので、思い とどまる。 太宰治の入水地点を新たに特定したり、数多くの太宰治のゆかりの地を特定した事で有名な、三鷹市在住の文学郷土史家の 山本貴夫さんの姿もあった。 山本さんに聞いてみたい事があったのだが、ずっと誰かと話されていたので、機会を失う。残念。。。 ほうき星さんの説明はとても上手でわかりやすかった。聞けて超ラッキーだった。 説明が終わった後、ほうき星さんに話しかけたかったが、常に人がまわりにいてかなわず。津島園子さんと食事に行かれ、 会場に戻って来たのが13時過ぎだったとのこと。私が会場を後にしたは、12時40分くらいだったので、もうちょっと いれば良かった。 会場内の展示物、何回見たろうか。。。とにかく2時間40分も滞在してた。 |
ほうき星さんの説明で興味深かったこと |
とにかく太宰が好きで、昔は三鷹市に住んでいたし、今も本籍は三鷹市にあるとのこと。ちょっとすごいよね。。。
今日も車で来る時にカセットで『人間失格』を聞きながら来た。最近ずっと聞いているとのこと。これまたすごい。。。 解説の一部を箇条書きにします。 太宰が学生に、慶応大学の応援歌「陸の王者」をもじって「地上の王者」より「心の王者」たれと呼びかけた。 直治の遺書 → 太宰は精神の貴族を目指していた。 桜桃のエピグラフ → その後を書いていない。気持ちだけ匂わせる。 太宰は作家魂に溢れている。心づくし。読むときもそれを味わいながら読んで欲しい。 『人間失格』の草稿、最後の「神様みたいないい子でした。」の部分で、「神様」→「天使」→「神様」としたこと。 一度「天使」と弱めたが、また「神様」に戻した。太宰の価値判断がよくわかる。 『グッド・バイ』の草稿、太宰はグッド・バイと手を振って死んだ。 ゲラゲラ笑ってしまうような作品なので、読んでいない方は是非読んで欲しい。 『如是我聞』の草稿、口述筆記と言われているが、ちゃんと草稿がある。 太宰は酒を飲んで勢いにまかせて書いたと言う人もいるが、そんな事はない。 『黄村先生言行録』の「黄村」は、ずっと「こうそん」と読んでいたが、津軽太宰の会(名称違うかも)から「おうそん」 だとクレームがついたので「おうそん」と読んでいる。 「おうそん」というのは「大損」からきており、太宰のユーモアとのこと。 太宰は、弱い、不健康という面が強調され過ぎている。健康的な面の方が多い。 弱いとかいうのは、太宰の1/3、1/4だけしか読んでいない。残りを読んで欲しい。 昭和22年の三鷹市の航空写真、太宰が昼寝しているかもしれないので、感動の写真。 太宰の仕事部屋の復元、初公開、再現するために予算を付けていただいて三鷹市に感謝。 美知子夫人の婚前の写真、初公開、非常に貴重な写真。提供された園子さんに感謝。 |
展示物で特に興味深かったもの、特に良かったもの |
『斜陽』『人間失格』『如是我聞』『グッド・バイ』の草稿は非常に良かった。
特に『人間失格』の草稿は、私の希望がほとんどかなえられたので、深く御礼申しあげます。>ほうき星さん 太宰が太田静子に書いた太田治子の認知状。本とかで見たことあるけど、実際に見れて超感激!! 太宰の自画像を始め、太宰が描いた絵。私は絵に詳しくないが、素人が描いたとは思えないほどのタッチという感じ。 武蔵野税務署あてに書いた、税金の審査請求書。 ほうき星さんが天下茶屋から写した、富士山と河口湖の写真はめちゃくちゃ綺麗。 太宰が着ていた、袷、マント。着てみたい衝動にかられるのは、私だけではないはず!(笑) 太宰の仕事部屋の復元。ここで小説書いてたのかぁ、、、と思うと感慨深かった。 |
まとめみたいなもの |
くどいようですが、全般的にとにかく良かった。東京に住んでいて良かったと思ったし、ちょうど仕事がヒマな時期だった
のもラッキーだった。桜桃忌は仕事忙しくて休めなかったので。。。 ほうき星さんの説明を聞いて、私なんて「まだまだだなぁ」と痛感しました。もっと太宰読んで、もっと理解を深めたいと 固く決心しました。 太宰治展を見終わった後、禅林寺に行き、太宰治と森鴎外のお墓参りをしました。 また、太宰治の住居跡、太宰治の遺体引き上げ場所、入水地点、などたくさんの太宰治のゆかりの地を見学しました。 それらのリポートも近い内にまとめたいと思っています。 |
平成10年11月23日(月) akaneさんのレポート |
AM10:30 さゆり氏と三鷹駅南口にて待ち合わせ |
AM11:00 ほうき星氏と受付にて待ち合わせ |
とても、素敵な先生です。(マッチ注:おいおい。。。笑)
ほうき星さんの案内で展覧会内を説明付で鑑賞(とても、ラッキーでした) 会場内は、年輩の方やら、若い方やら、年齢層が広いのには、驚きました。 休日の為か、人が多かったです。ここにも、太宰のファンの多さを見た気がします。 年代別に並べてなく、生活していた場所別で見易かったです。 マッチさんのレポートで、会場内の説明は、してあるので、省略(ごめんなさいマッチさん)(マッチ注:別にあやまる事 ないです) |
私の感想 |
間近に太宰の書いた原稿や、遺品を見ると小説家だけでなく、生活人としての太宰を見る(感じる)ことができた気がしま
す。 私が印象に残っているのは、 太田静子さんへの恋文 如是我聞の草稿 マント 納税審査請求書 太田治子さんの認知証 太宰の字 太宰と奥さんと園子さんの写真(とても、自然で、良かったの) メモ |
感じたこと |
一つの小説を作るのに、とても時間をかけていたんだなってこと、小説を書いて人々に喜んでもらおうと考えていたってこ
と、文章を書くために生きていたんだなあってつくづく感じました。 生きるために、人を喜ばせるため小説を書く人という印象。 長い指先から、流れるように綺麗な字が生まれてくるのが目に浮かんできてしまいました。どんな思いで、太田静子さんに 女の人の心をくすぐるような文を書いていたんだろう。書いている自分に酔っていたのかな? でも、好きだったんだろうと信じたいです。(レポートになっていない)(マッチ注:いえいえ、十分なっています) 文の才能だけでなく、絵の才能もあったんだなって実際の絵を見て感じました。 人間失格だけでなく、様々な小説を読まなくては太宰の核心には、触れることはできない・・・・ 人間失格だけで、太宰を捉えてほしくないという気持ちが わかりました。 太宰は、小説を書くのに、あれだけのメモや、書き損じがあったりとか、なんか、とても真面目な人柄が出てました。 それは、字にも表れていました。とても、綺麗で、繊細そうな字。 「太宰治展」に行って、もっと勉強しなくてはと感じました。 彼の文学は私小説と言われていますが、もしかしたら、全然、違うのではと思う瞬間がありました。 初版本を見ると、時代を感じました。文章は、時代を感じさせず、いきいきしているのに・・・・ ほうき星さんは、とても丁寧に解説して下さって感動です。 なんて、素敵な先生でしょう。(マッチ注:くぅ〜妬けるねぇ〜、マイッタ!!) |
平成10年11月23日(月) さゆりさんのレポート |
1.日 時 : 平成10年11月23日 11:00〜13:00 |
2.訪問先 : 三鷹市芸術文化センター 展示室 |
3.案 内 : ほうき星さま |
4.同 行 : akaneさん |
5.展示内容 : (私は省略) |
6.私の心に残った展示物 |
@太宰が自ら描いた「津軽」挿入の地図
地図を自分で書くというのは、その地をかなり好きであると思う。私は地図を書いた太宰がいいと思う。 A太田静子が暮らしていた小田原の大雄山荘 「斜陽」の舞台になった家かと思うと感慨深い。私は「斜陽」が太宰の作品の中で一番素晴らしいと思っている。 B肖像 油絵 「自画像」 他1枚 ゴッホの絵(自画像)に似ている。太宰がゴッホを好きであったかは知らなかったが、絵を見て好きなんだと確信した。 ゴッホは太宰が好みそうな存在であるから。ちなみに、私はゴッホが好きである。 C肖像 油絵 太田静子をモデルに描いた絵 なぜ、彼女をモデルに描いたのだろうと思う。信じられない。(この意味をみなさんはどうとるのかなとも思う?) D審査請求書 私の中でらしくない太宰の一面であった。書いた太宰より書かせた美知子夫人を思うと胸熱くなる。 E太田静子に与えた証書 サインはやっぱり「太宰治」なんだと思った。そして、なんで「太宰治」なんだと思う。 F太田静子宛て書簡 どこまでが太宰の本心なのだろうか?内容にはショックを受けた。 G創作メモ(数点) 作家太宰の様子が良く分かって嬉しかった。作家太宰とはこうあって欲しいと思っていた。 |
7.太宰治展の私の感想(と言えるのだろうか?) |
私はみなさんも既に御存知の通り、太宰にまだ詳しくなく、太宰個人に惚れ込んでいるとは決して言えません。
だから、ここで上手くまた深く語ることが出来ません。資格がないとでも 言うのでしょうか。 しかし、作品を一つ又一つと読んでいくとほとんどの作品を素晴らしいと思います。作品には間違いなく現段階でも惚れ ています。 と言うことで、ここにふさわしくない発言等があってもお許し頂きたいと思います。と同時に何時も素直に理解せず、問 題視してしまう私にお教え頂きたいと思います。お願い致します。頑張ります。 私は今回の展示会を通してあらためて考えたことが二つありました。 一つは太宰に限らず“作家”とはなんだろうか?と言うことでした。 そしてもう一つは、今回の様な展示会等を太宰本人はどう思うのだろうか? ということです。 今回沢山の太宰の私物等見ることが出来て嬉しく思う反面、作家が(いや、太宰は)自分を最大限に表現しているはずの 作品ではない物への人々の興味をどう考えるのだろうか? と素朴に思いました。 これはもちろん展示会の批判をしているのではありません。 そして、単なる私の知識不足なんでしょうが、作品一つ一つに対してあんなに推敲し、虚構を好み、痛烈に社会批判し、 作品を書く事に力尽くしていた彼にだからこそそういう疑問を持ちました。 作家とは太宰が思う作家像とは、そして太宰とは何であるのでしょうか? そして、今尚あんなに多くの人々を魅了し続ける太宰をもっと知りたいと思います。しかし、その答えは作品の中にしか ないのでしょう。 と、いった具合に私にとって作品に帰って行くという答えをくれた展示会でありました。(これでいいのですよね?) #最近、ちょっとだけ太宰が人気ある作家である理由が分かってきました。これについては、おいおい掲示板に書き込み していきたいと思います。 最後になりましたが今回の展示会でご親切にご案内下さいましたほうき星さまに心から感謝致します。 |