私は北方の城下まちの高等学校の生徒である。遊ぶことが好きなのである。け れども金銭には割にけちであった。ふだんは友人の煙草ばかりをふかし、散髪 をせず、辛抱して五円の金がたまれば、ひとりでこっそりまちへ出てそれを一 銭のこさず使った。 太宰治『逆行』 あれは私が弘前の高等学校にはいって、その翌年のニ月のはじめ頃だったので はなかったかしら、とにかく冬の、しかも大寒の頃の筈である。 太宰治『チャンス』 ほんの一時ひそかに凝った事がある。服装にこったのである。弘前高等学校一 年生の時である。縞の着物に角帯をしめて歩いたものである。 太宰治『服装について』 これもやはり高等学校時代の写真だが、下宿の私の部屋で、机に頬杖をつき、 くつろいでいらっしゃるお姿だ。なんという気障な形だろう。 太宰治『小さいアルバム』 |
太宰治下宿跡 |
太宰治が住んでいた下宿跡。移設保存のため取り壊し中でした。平成15年12月 |
下宿での太宰 昭和2年頃 |
その小都会から更に十里はなれた或る城下まちの高等学校にはいってからは、 少年のお洒落も、のびのびと発展いたしました。発展しすぎて、やはり珍妙な ものになりました。 少年は、その股引を買い求めようと、城下まちを端から端まで走り回りました。 太宰治『おしゃれ童子』 また、紺の股引を買いに汗だくで歩き回ったところは、土手町という城下に於 いて最も繁華な商店街である。 太宰治『津軽』 |
土手町 | 土手町にある一戸時計店 |
太宰がよく通った喫茶店 万茶ン | 万茶ン 店内 |
ついでだから、弘前の町名と、青森の町名とを次に列記してみよう。この二つ の小都会の性格の相違が案外はっきりして来るかも知れない。本町、在府町、 土手町、住吉町、桶屋町、銅屋町、茶畑町、代官町、萱町、百石町、上鞘師町、 下鞘師町、鉄砲町、若党町、小人町、鷹匠町、五十石町、紺屋町、などという のが弘前市の街の名である。 太宰治『津軽』 |
本町 | 桶屋町 |
銅屋町 | 百石町 |
弘前カトリック教会 |
弘前カトリック教会 |
聖堂。厳かな雰囲気。 |
マリア様 | ヨゼフ様 |
祭壇 |
祭壇中央部 |