年 号
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西 暦
| 干支 |
天 皇
| 将軍 |
事 項
| 赤穂 |
本家 |
天正16 | 1588 | 戊子 | 後陽成 | 豊臣秀吉(関白) | ☆是歳 浅野長重(長政三男)、若狭国小浜(寛政では近江国)にて誕生。父は小浜城主浅野弾正少弼長政、母浅野長勝女未津、幼名又市(一)郎〔花岳1〕。通称は又市郎・長兵衛、諱ははじめ長則のち長重(本年譜では長重に統一)。 | |
浅野長政 |
天正17 | 1589 | 己丑 | 後陽成 | 秀吉 |
☆是歳 浅野長政、若狭国を拝領すという〔浅野家譜〕。 |
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長政 |
天正18 |
1590 |
庚寅 |
後陽成 |
秀吉 |
☆2.17 豊臣秀吉、長重父長政(長吉)・長束正家に小田原陣について指令す〔大森洪太郎氏保管文書〕。
☆2.26 浅野長政(長吉)、相模国鎌倉妙本寺に證状を発給し、豊臣秀吉の朱印制札を取次ぎ、且つ狼藉の族をなからしむ〔妙本寺文書〕。
☆4.5
☆4.29 浅野長政(長吉)、武蔵国足立郡浦和郷に證状を発給し、豊臣秀吉の朱印状を取次ぎ、且つ狼藉の族をなからしむ〔浦和宿本陣文書〕。また長政(長吉)、葛西33郷のうち飯塚・猿俣・小合・金町・柴又各村宛に同内容の證状を発給す〔武州文書5〕。
☆5.20 豊臣秀吉、長政(長吉)・木村常陸介一に朱印状を送り、鉢形城攻略の遅延を詰り、両人を鉢形城に急派せしむ〔浅野25〕。
☆5.24 長政(長吉)、武蔵中尾村玉林院に證状を発給し、前々の如く屋敷に居住すべきことを命ず〔武州文書12〕。
☆5.25 豊臣秀吉、長政(長吉)・木村一に朱印状を送り、岩付城の処理につき無届で城の者を助命せしことを詰り、早急の鉢形移陣と、その戦況を毎日注進すべきことを命ず〔浅野329〕。
☆6.1 長政、(長吉)、武蔵国足立郡鴻巣郷の大嶋大炊助・大嶋大膳助・矢邊新右衛門・矢部兵部・小川圖書の5人に前々の如く在所に還住し、耕作に専念すべき事を命ず〔大嶋文書〕。
☆6.3 前田利家、長連龍・不破勝光・高畠定吉に武蔵比企郡石橋陣取を報じ、且つ雨上がり次第松山まで着陣し、長政(長吉)を待ち受けて鉢形城攻略に参戦すべき事を要請す〔寸錦雑編〕。
☆6 鉢形攻将の前田利家・長政(長吉)・木村一、連署して鉢形城明渡の5ヶ条の条目を定む[町田文書]。また、長政(長吉)・木村一、武蔵国北野天神社(埼玉県所沢市)に3ヶ条の禁制を与える〔北野天神社文書〕。
☆7.3 豊臣秀吉、長政(長吉)に朱印状を送り、長政の忍城皿尾口の戦功を賞し、兎角忍城水責を命ず〔浅野21〕。
☆7.6 長政(長吉)、武蔵国熊谷龍淵寺惣中に證状を発給し、秀吉禁制(朱印状)の旨に任せ、一切の違乱停止を命ず〔武州文書15〕。梁田洗心斎道忠、長政(長吉)の陣所に書を送り、疵医の派遣を伝う〔浅野33〕。
☆7.13 長政(長吉)・木村一連署して武蔵忍之内長慶寺に定書を発給し、急ぎ還住し、前々の如く勤行すべきことを命ず〔長慶寺文書〕。
☆7.14 織田信雄、忍城攻めの長政(長吉)に飛脚を走らせ、忍城責崩しの戦功を賞し、且つ手負人を悼む〔浅野20〕。
☆7.17 ふく女、長政(長吉)に見舞の消息を送り、忍城攻略の戦功を賞し、且つ無事帰陣されんことを伝う〔浅野32〕。
☆7.23 徳川家康家臣榊原式部大輔康政、武蔵国藤沢より長政(長吉)に書を送り忍城責落の戦功を賞し、且つ北条氏直の高野山入山を報ず〔浅野29〕。
☆7 豊臣秀吉、長政(長吉)へ軍勢の濫妨狼藉停止・陣所失火人罪科に処すべき旨等の条目を発す〔浅野19〕。長政(長吉)、武蔵浦和市に3ヶ条の禁制を発給し、前々の如く市を立て、商売すべきことを命ず〔浦和宿本陣文書〕。
☆8.18 浅野長政(長吉)、奥羽仕置の儀を豊臣秀吉に報ず〔浅野22〕。
☆9.11 8月18日付浅野長政(長吉)書状、京都聚楽第に到来す〔浅野22〕。
☆9.11 豊臣秀吉、浅野長政(長吉)に奥羽仕置入念にすべき旨を命ず。使者木下半介吉隆〔浅野22〕。 |
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長政 |
天正19 | 1591 | 辛卯 | 後陽成 | 秀吉
秀次(関白) | ☆9.22 長政、若狭国御蔵入地6千5百石を加増される[浅野320]。 |
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長政 |
天正20
文禄元 |
1592 |
壬辰 |
後陽成 |
秀次 |
★12.8 改元。 | |
長政 |
文禄2 |
1593 |
癸巳 |
後陽成 |
秀次 |
☆11.20 浅野長政、若狭小浜より甲斐に転封(22万石)[浅野321・寛政]。
☆是歳 浅野幸長、朝鮮に出陣す[浅野家譜]。 | |
長政 |
文禄3 |
1594 |
甲午 |
後陽成 |
秀次 |
☆2 長重、母と共に上洛か[花岳1]。 |
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長政 |
文禄4 |
1595 |
乙未 |
後陽成 |
秀次 |
☆是歳 浅野長政、若狭国を改めて甲斐国を拝領す[浅野家譜]。浅野幸長、朝鮮より帰国す[浅野家譜]。 |
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長政 |
文禄5
慶長元 |
1596 |
丙申 |
後陽成 |
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★10.27 改元。 |
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長政 |
慶長2 |
1597 |
丁酉 |
後陽成 |
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☆是歳 浅野長政、近江国神崎郡のうちに於いて5千石を加増される[浅野322・寛政]。浅野幸長、朝鮮に出陣す[浅野家譜]。 |
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長政 |
慶長3 |
1598 |
戊戌 |
後陽成 |
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☆是歳 浅野幸長、朝鮮より帰国す[浅野家譜]。 |
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長政 |
慶長4 |
1599 |
己亥 |
後陽成 |
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☆是歳 長重、徳川家康の命により浅野家の人質として江戸に参る[寛政]。 |
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長政 |
慶長5 |
1600 |
庚子 |
後陽成 |
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☆正 長重、徳川秀忠に奉公す[花岳1、寛政]。
☆7 長重、徳川秀忠に従って会津に出陣、宇都宮まで御供するも下野国小山にて15歳以下の従軍不参加の決定により宇都宮より江戸に戻る[花岳1、寛政]。
☆9.15 浅野幸長、関ヶ原合戦に東軍に属して参戦す[浅野家譜]。
☆10.8 黒田如水軒(孝高)、井伊直政・金森可重・有馬則頼・浅野長政・長岡(細川)忠興・黒田長政に細川家重臣松井佐渡守康之上洛と細川勢の奮戦を報ず[松井3-459]。
☆是歳 長重、従五位下釆女正に叙任す[花岳1]。 |
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長政
幸長 |
慶長6 |
1601 |
辛丑 |
後陽成 |
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☆是歳 長重、徳川家康より下野国真岡を宛行れる(2万石)[花岳1、寛政]。 |
長重(14) |
幸長 |
慶長7 |
1602 |
壬寅 |
後陽成 |
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☆是歳 長重、家康より松平(竹谷)玄蕃頭家清の女(家康養女として)との縁組を仰付らる[花岳1、寛政]。 |
長重(15) |
幸長 |
慶長8 |
1603 |
癸卯 |
後陽成 |
徳川家康(江戸幕府) |
☆正 浅野幸長、江戸に参勤す〔細川1-26〕。
☆3.25 徳川家康、参内す〔細川1-31〕。 |
長重(16) |
幸長 |
慶長9 |
1604 |
甲辰 |
後陽成 |
家康 |
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長重(17) |
幸長 |
慶長10 |
1605 |
乙巳 |
後陽成 |
家康
秀忠 |
☆2.24 長重、徳川秀忠上洛につき御先隊九番酒井右兵衛大夫忠世組に属して供奉す[花岳1、寛政]。
☆4.26(寛政では4.6) 長重、徳川秀忠将軍宣下御礼の為の参内に供奉す[花岳1、寛政]。
☆是歳 浅野長政、徳川家康の内意に依りて妻子と共に江戸に居住し、江戸桜田屋敷を拝領す[浅野家譜]。 |
長重(18) |
幸長 |
慶長11 |
1606 |
丙午 |
後陽成 |
秀忠 |
☆2.4 浅野長政、隠居料として常陸国真壁・筑波2郡の内5万石を拝領[寛政、浅野家譜]。 |
長重(19) |
幸長 |
慶長12 |
1607 |
丁未 |
後陽成 |
秀忠 |
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長重(20) |
幸長 |
慶長13 |
1608 |
戊申 |
後陽成 |
秀忠 |
☆夏 長重病、追々快復す[花岳1]。 |
長重(21) |
幸長 |
慶長14 |
1609 |
己酉 |
後陽成 |
秀忠 |
☆正.20 浅野長政、近江国神崎郡5千石を従来通り領すべき旨の判物を賜る[寛政]。 |
長重(22) |
幸長 |
慶長15 |
1610 |
庚戌 |
後陽成 |
秀忠 |
☆8.11 長重、下野国塩原温泉に湯治中の浅野長政等の病状を幕府使者の返答のため本家家臣関蔵人安盛に知らせる[花岳1]。
☆8.18 長重、長政夫妻・妹への見舞品進上に対して関蔵人安盛に書状を遣わす[花岳1]。
☆是歳 長重室松平氏、男子を出産。犬千代、後に又市郎と称す(後の浅野内匠頭長直)。御七夜の祝儀の際には長重屋敷に幕府年寄衆が赴き、産衣・脇差等を贈られる[花岳1・久岳1]。また羽柴(堀)美作守親良(長政女婿)、杉原伯耆守長房(長政女婿)、松平越中守定綱よりも刀・脇差等到来す[久岳1、寛政]。 |
長重(23) |
幸長 |
慶長16 |
1611 |
辛亥 |
後陽成
後水尾 |
秀忠 | ☆4.7 浅野長政、下野国塩原にて没(65歳)、法名傳正院殿前霜台功山道忠大居士。真壁照明寺(後の伝正寺)にて葬儀、高野山にて火葬、高野山に納骨[花岳1、浅野家譜]。墓所は高野山悉地院あるいは傳正寺ともいう[寛政]。
☆8.16 長重、父長政遺領の内真壁5万石を拝領[花岳1]。なお、長重領真岡2万石の内3千石を長政室(長重母)長生院(未津)に、5千石を杉原長房(長政女婿)に、1万2千石を羽柴(堀)親良(長政女婿)へ与えられる[花岳1]。
☆是頃 長重兄浅野長晟、長重へ遺領相続の祝儀として使者真柄壱岐乗勝を江戸遣わす[花岳1]。
☆9.朔 長重兄浅野幸長、長政の遺物配分について知らせる。長重には「山うばの掛物」を形見として与えられる[浅野243・花岳1]。
☆是歳 長重、江戸城桜田口土橋石垣普請並びに同所堀浚を命ぜられる[花岳1、寛政]。 |
長重(24) |
幸長 |
慶長17 |
1612 |
壬子 |
後水尾 |
秀忠 |
☆3 浅野幸長病気につき長重・長晟・堀親良、和歌山へ赴く。長重・長晟、母長生院より労い・伝言の文を賜る。幸長病気快復につき長重、江戸に帰る[花岳1]。
☆4.29 長重、兄長晟に大鷹・兄鷹2聯を進上す[花岳1]。
☆7.晦 長重、和歌山逗留中に機嫌窺に来た寺本内蔵丞忠吉に返礼状を遣わす[花岳1]。
☆8.12 長重、和歌山逗留中に機嫌窺に来た伴小作・坂井又吉に返礼状を遣わす[花岳1]。☆8.14 長重、真壁に赴く[花岳1]。
☆9.15 長重、大石内蔵助良勝に3百石を宛行う[花岳1]。 |
長重(25) |
幸長 |
慶長18 |
1613 |
癸丑 |
後水尾 |
秀忠 |
☆10.18 浅野幸長、和歌山にて逝去(38歳)、法名清光院殿前紀州太守春翁宗雲大居士。母長生院の意向に従い弟長晟、遺領を相続す[花岳1]。
☆11.12 浅野長晟、紀州へ入国[花岳1]。
☆11.19 長重、長晟入国の祝儀として使者矢嶋民部可行をして銀10枚を進上せしむ、民部も銀1枚を長晟へ進上[花岳1]。 |
長重(26) |
幸長
長晟 |
慶長19 |
1614 |
甲寅 |
後水尾 |
秀忠 |
☆正.26 長重、相模国小田原城主大久保相模守忠隣改易につき、安藤対馬守重信・本多出雲守忠朝・松平越中守定綱・高力左近大夫忠房等とともに小田原城請取を命ぜられる。長重、江戸出発[花岳1]。
☆正.27 戌刻、長重、一番に小田原着、将軍秀忠より賞せられ、早速に城請取・城内破却を執り行う[花岳1、寛政]。
☆正.29 長重、本家家臣谷喜兵衛へ返書を遣わし、家康・秀忠に拝謁し小田原城請取においてより感美せられたことを報ず[花岳1]。
☆2.2 浅野長晟、駿府へ赴く[浅野家譜]。
☆2.19 浅野長晟、長重へ普請の件と御鷹犬借用の件を飛札を以て申し入れる[花岳1]。
☆2.21 浅野長晟、中井大和守へ普請を労い、且つ普請に従事していた長重・堀親良に諸事指図をするよう申し入れる[花岳1]。
☆3.26 浅野長晟長男、山城国稲荷に於いて誕生、市松と名付けられる(後の三次初代浅野長治)。母は日下丹波守秀柴女、御附沢田助之進公夏[鳳源1]。
☆5.6 浅野長晟、長重を来客として招く[花岳1]。
☆9.19 浅野長晟、蜂須賀阿波守至鎮見舞いとして来訪の由を平野遠江守長泰が知らせたため、これについての振舞を長重へも知らせる[花岳1]。
☆10.23 徳川秀忠、豊臣秀頼討伐(大坂冬の陣)のため江戸を出陣。長重、本多忠朝とともに二番備を命ぜられて供奉す[花岳1]。
☆11.9 浅野長晟、長重へ秀忠の行動を使札にて問い合わせる[花岳1]。
☆11.18 長重、本多忠朝とともに伏見に到着し、そのまま伏見に逗留す[花岳1]。
☆11.23 今宮在陣の浅野長晟、長重に陣小屋・軍船・兵糧の件を伝え、且つ参陣の節の面会を申し入れる[花岳1]。長重、大坂城東方信貴野付近の堀尾山城守忠晴の陣に並んで布陣す[花岳1]。
☆11.26 信貴野堤にて上杉中納言景勝・佐竹右京大夫義宣の隊が大坂方と合戦す。夜、長重、本多忠朝と共に今福へ赴き佐竹隊と陣替すべきことを命ぜられる[花岳1、寛政]。
☆11.27 早朝、長重、今福に着陣、同所に布陣す[花岳1]。
☆12.4 長政室長生院家来切米の儀につき、浅野長晟・長重談合し、金子300両と書状を江戸へ遣わす[花岳1]。
☆12.5 浅野長晟、長重へ絵図を返進し、御陣所より京橋迄の道程・方角を報ず「花岳1]。☆12.7 浅野長晟、今回の合戦の精勤を御前へ(家康カ)取成した本多佐渡守正信へ礼を申し米・大豆・蜜柑を進上した旨を長重へ報ず[花岳1]。
☆12.19 長重、浅野長晟へ葦毛馬を贈る[花岳1]。
☆12.20 東西和睦により大坂城惣堀埋立につき、長重その普請を勤む[花岳1]。浅野長晟、長重へ礼の使者として木村角太夫重尚を遣わす[花岳1]。 |
長重(27) |
長晟 |
慶長20
元和元 |
1615 |
乙卯 |
後水尾 |
秀忠 |
☆2.4 長重、京都出立[花岳1・花岳2]。
☆2.19 長重、江戸へ帰府す[花岳1・花岳2]。
☆是頃 長重、帰国の暇を賜り真壁へ帰る[花岳2]。
☆3 浅野長晟、長重等親類へ幸長女「ちゃちゃ姫」(春姫)と名古屋城主徳川宰相義利(のちの義直)婚儀に付、名古屋来訪の予定を無用と伝える[花岳2]。
☆3.晦 ちゃちゃ姫、和歌山発輿[花岳2]。
☆4.12 ちゃちゃ姫、名古屋着[花岳2、浅野家譜]。
☆4.6 豊臣秀頼征伐につき(大坂夏の陣)徳川秀忠2月10日江戸出陣につき長重、御旗本先鋒として本多忠朝とともに二番備を命ぜられる[花岳2]。
長重、江戸出陣[花岳2]。
☆5.朔 長重等先鋒の軍勢、伏見より進発、大坂城東方に布陣す、相備は本多忠朝・秋田城介実季・松下石見守重綱・真田河内守信吉・六郷兵庫頭政乗・目付須賀摂津守勝政[花岳2]。
☆5.6 道明寺口の合戦。本多忠朝・長重、軍勢を押出す[花岳2、寛政]。
☆5.7 未明、長重隊、阿倍野に移動す。本多忠朝隊、毛利豊前守勝永の隊と戦い苦戦す。長重・秋田・六郷隊もこれに参加、長重の家臣等奮戦し、首級を多数取る。長重隊、毛利隊を天王寺木戸口まで攻め立てたが城内より火の手が上がったため引き揚げる[花岳2、寛政]。
☆5 長重、京都へ向かう[花岳2]。
☆是頃 長重、大坂夏の陣の奮戦を将軍秀忠より賞美せらる[花岳2]。
☆7.12 浅野長晟、長重の事を自分同前に徳川家康へ取成すよう家康側室於亀の方・阿茶局に依頼す[花岳2]。
★7.13 改元。
☆7.19 徳川秀忠伏見発駕につき、長重、江戸へ帰府す[花岳2]。
☆8.4 徳川秀忠、江戸着。長重江戸着[花岳2]。
☆8.27 浅野長晟、徳川秀忠へ機嫌窺す[花岳2]。
☆9.11 夜、毛利長門守秀就江戸屋敷出火類焼す。長重屋敷近所にあれども無事[花岳2]。
☆冬 浅野長晟家臣八島長運死去[花岳2]。 |
長重(28) |
長晟 |
元和2 |
1616 |
丙辰 |
後水尾 |
秀忠 |
☆正.11 浅野長晟、徳川家康3女振姫と婚礼。長重、祝儀として小袖10を進上す〔花岳2〕。
☆正.26 長重室、浅野長晟婚礼の祝儀として小袖6を進上す〔花岳2〕。
☆2.22 江戸に於いて長重母長生院(長政室)逝去、法名長生院殿一宝宗玉大姉〔花岳1〕。
☆2.27 長生院埋葬の儀、真壁にて執行の予定を江戸にて火葬との浅野長晟の意向を長重・杉原長房・堀親良より斎本儀大夫・岸田左馬助へ書状にて伝えられる〔花岳2〕。
☆2.28 江戸龍雲院(後の泉岳寺か)にて長生院を火葬・葬礼。後位牌を安置、石塔の造立あり〔花岳2〕。浅野長晟、長重・杉原長房・堀親良に長生院知行返上ならびに長生院女中の始末を相談す〔花岳2〕。
☆4.20 長重の許へ浅野長晟室振姫より弔問(徳川家康薨去につき)の礼状到来す〔花岳2〕。
☆4.24 夜、加藤肥後守忠広江戸屋敷出火類焼す。浅野長晟屋敷近所にあれども無事〔花岳2〕。
☆4.25 長重、浅野長晟へ屋敷無事を報じ、且つ長晟屋敷に赴いて後始末を差配す〔花岳2〕。
☆4 浅野長晟、八島長運跡目を長重に仕えている八島の子2人のうち民部に相続させる旨を申し入れる〔花岳2〕。
☆5.21 長重、長生院逝去を書面にて弔した村井太郎左衛門に返書を遣わす〔花岳2〕。
☆5 長重、真壁傳正寺作事につき浅野長晟へ材木調達・大工派遣を依頼すれど、長晟室振姫居室作事の為叶わずとの返答あり〔花岳2〕。
☆5 浅野長晟、長重室へ振姫の見舞を謝す〔花岳2〕。
☆6.9 浅野長晟、松平(蒲生)下野守忠郷(会津若松城主)より鷹・巣鴨を贈られた事を在真壁の長重に報ず〔花岳2〕。
☆6.21 長晟、紀州鷺森に於いて長生院の葬礼を執行す。長重、使者中村久左衛門を以て香典を供える〔花岳2〕。
☆是頃カ 長生院、真壁傳正寺に葬られる。その後、御霊屋造営す〔花岳2〕。
☆6.28 細川忠興(小倉城主)、嫡子忠利へ長重への返書を届けるよう依頼す〔細川1-128〕。
☆8.朔 上田主水重安(宗箇)、江戸へ下り幕府年寄衆へ訴訟につき浅野長晟、談合のため長重へ急遽江戸へ戻るようにとの旨を記した書状を東海道新居宿より遣わす〔花岳2〕。
☆9 浅野長晟の談合依頼の状、長重の許に到来〔花岳2〕。
☆10 長重、来年4月東照大権現日光遷座につき普請を命ぜられる。普請奉行村田権右衛門・本多藤四郎正盛・山代宮内少輔忠之、長重方へ来訪〔花岳2〕。
☆11.12 長重、日光着。普請場を受け取る〔花岳2〕。
☆11.13 長重、普請開始〔花岳2〕。
☆11 長重、自領より材木を手配す〔花岳2〕。
☆11 長重、自領よりの材木を当月中に差し出すよう命ぜられる〔花岳2〕。
☆12 日光地形引坪・江戸より来た木材を届けるよう触あり〔花岳2〕。 |
長重(29) |
長晟 |
元和3 |
1617 |
丁巳 |
後水尾 |
秀忠 |
☆正.21 長重、本家より傳正寺霊屋作事金95両を坂田左近右衛門を以て受取る〔花岳2〕。
☆2.13 浅野長晟室振姫、和歌山城に於いて男子を出産、岩松と命名す(後の浅野光晟)〔花岳3〕。
☆2.16 日光普請の様子を伝えた長重に対しての浅野長晟の返書到来〔花岳2、花岳3〕。
☆8.29 浅野長晟室振姫逝去す〔花岳3〕。
☆9.17 長重、浅野長晟へ男子出産の祝儀として家老藤井又左衛門を遣わし、小袖5、岩松へ太刀馬代・御刀・脇差、長重室は長晟へ小袖2、岩松へ産衣3重を贈る〔花岳3〕。
☆9 細川忠興(小倉城主)、浅野長晟室振姫逝去につき、嫡子忠利へ長重・加藤忠広(熊本城主)に弔問の使者を遣わすことを指示す〔細川1-141〕。 |
長重(30) |
長晟 |
元和4 |
1618 |
戊午 |
後水尾 |
秀忠 |
☆2.14 浅野長晟、日光参詣の為江戸を出発す〔花岳3〕。
☆2.15 長重、旅中で小山宿にある浅野長晟まで使者を遣わす〔花岳3〕。
☆2.17 長重、旅中の浅野長晟に使者を遣わす〔花岳3〕。
☆6 堀親良(下野真岡城主・長政女婿)、細川忠興(小倉城主)に竹50株を贈る〔細川1-162〕。
☆8.18 細川忠興(小倉城主)、母光寿院死去につき嫡子忠利に大名衆見廻につき指示し、浅野長晟へは自身が江戸へ下ることを言わないよう指示す〔細川1-169〕。
☆9.5 浅野幸長女「長光姫」(長晟養女か)と越後高田城主松平伊豫守忠昌との縁組みを仰付らる〔花岳3〕。
☆9 浅野長晟長男市松、又六郎と改める〔鳳源1〕。
☆12 浅野長晟、長重へ尾張中納言義利江戸下向を知らせ、且つ長重病状を気遣う書状を遣わす〔花岳3〕。
☆是歳 長重、江戸城半蔵門内地形普請を命ぜられ、普請を勤む〔花岳3、寛政〕。 |
長重(31) |
長晟 |
元和5 |
1619 |
己未 |
後水尾 |
秀忠 | ☆正.3 長重、長光姫縁組の祝儀として浅野長晟へ銀20枚を進上す〔花岳3〕。
☆正.5 長光姫、和歌山発輿〔花岳3〕。
☆正.28 長光姫、越後高田城主松平伊予守忠昌へ入輿す〔花岳3、浅野家譜〕。長光姫、長重・長重室へ祝儀を贈る〔花岳3〕。
☆2.18 浅野長晟、松平忠昌・長光姫婚礼調う御礼として使者八嶋出雲(番頭)を江戸へ遣わす〔浅野家譜〕。
☆3.4 細川忠興(小倉城主)、嫡子忠利に長重よりの書状に返事するよう指示す〔細川1-186〕。
☆3.25 長重(長則)、大石右衛門太郎(後の八郎兵衛)信云に常陸国真壁郡上小幡村200石を宛行う〔弘前大石家史料〕。
☆5.8 徳川秀忠、上洛のため江戸発駕。長重、供奉す〔花岳3〕。
☆5.21 暮、長重、大津着。後伏見到着〔花岳3〕。
☆7.17 尾張義利・駿河中納言頼将(後の紀州頼宣)、浅野長晟へ家具50人前・小道具・鳫10・白鳥1を進上す〔花岳3〕。
☆7.18 浅野長晟、伏見に於いて安藝国広島へ国替を命ぜられる。夕方、尾張義利・駿河頼将、見舞として長晟方へ来訪す〔花岳3〕。
☆7.19 旗本土屋忠次郎利常・相馬大膳亮利胤(陸奥中村城主)、佐竹義宣(久保田城主)へ浅野長晟の安藝・備後拝領を知らせる〔梅津4〕。
☆7.23 長重、浅野長晟国替につき機嫌窺として使者を使わした仙石因幡政次に返書を遣わす〔花岳3〕。
☆8.4 浅野長晟・岩松(光晟)、紀伊を出船す。長重、前もって見立の使者を使わす〔花岳3〕。伏見城にて能あり〔花岳3〕。
☆8.5 伏見城にて能あり〔花岳3〕。
☆8 浅野長晟、広島に着船を長重に報じたため長重、入国の祝儀として長晟へ太刀1腰・馬代銀1枚・小袖10、岩松へ太刀馬代・小袖3を使者牧市左衛門を以て進上す〔花岳3〕。
☆9.3 祝儀の使者牧市左衛門広島着か〔花岳3〕。
☆9 浅野長晟、長重へ広島着と近況を報じ、三原樽2を贈る〔花岳3〕。長重、浅野長晟へ当年江戸越年を督促す〔花岳3〕。
☆9.7 浅野長晟、長重へ江戸越年の件の返書を遣わす〔花岳3〕。
☆9.18 徳川秀忠、伏見発駕。長重、供奉す〔花岳3〕。
☆9.27 浅野長晟の江戸越年の返書、長重の許へ到来〔花岳3〕。
☆10.6 徳川秀忠、江戸着。長重も帰府す〔花岳3〕。
☆10.15 これより先長重、細川忠興(小倉城主)、に鮭一尺を贈る。忠興、嫡子忠利に返事するよう指示す〔細川1-195〕。
☆10.17 長重、浅野長晟へ書状を遣わすも、長晟大坂不在につき飛脚、同所天満植木小右衛門に渡したため長晟の許へは遅く届く〔花岳3〕。
☆12 浅野長晟、重臣浅野(安井)左衛門佐知近誅伐を長重に報ず〔花岳3〕。
☆11.27 浅野長晟、長重嫡子犬千代へ歳暮の祝儀として銀3枚を贈る〔久岳1〕。
☆12.29 浅野知近誅伐を報じた浅野長晟書状、長重の許に到来〔花岳3〕。
☆冬 浅野知近子伊豆守知吉、切腹を命ぜられる〔花岳3〕。 |
長重(32) |
長晟 |
元和6 |
1620 |
庚申 |
後水尾 |
秀忠 |
☆正.18 長重、浅野長晟へ浅野知近誅伐につき将軍家には別条無き旨を伝え、且つ江戸下向を急ぐよう督促す。追って長晟より返書到来す〔花岳3〕。
☆2.5 細川忠興(小倉城主)、嫡子忠利へ浅野長晟の浅野氏意(知近)成敗を報ず〔細川1-203〕
☆2.14 長重、浅野長晟の迎えとして津田勘兵衛を遣わす〔花岳3〕。
☆2.15 浅野長晟、長重の好意を謝す〔花岳3〕。
☆2.18 浅野長晟、数寄のため明朝幕府幕府重役(土井大炊助利勝・松平右衛門佐正綱・伊丹喜之介康勝)来訪に際し、長重、・杉原長房・堀親良を招く〔花岳3〕。
☆3.18 浅野長晟、江戸発駕。追って長重、長晟に書状を遣わす〔花岳3〕。
☆3.晦 長重・杉原長房・堀親良、浅野長晟へ江戸発駕の節に依頼した3ヶ条(江戸城天守台普請・小方東条侍屋敷普請・三原城破却の件の書付)について幕府年寄衆より了承の返書ある旨を報ず〔花岳3〕。
☆4.4 長重の書状、大坂着の浅野長晟の許に到来す〔花岳3〕。
☆4.5 浅野長晟、長重へ道中無事を伝え、且つ去年よりの肝煎を謝す〔花岳3〕。
☆4 長重、数寄につき浅野長晟に預けていた「いと釜」を返してもらう〔花岳3〕。
☆4.24 浅野長晟、かねて逼塞中の上田重安(女婿浅野知吉切腹につき)が剃髪の意志を示したため、幕府年寄衆へ指示を仰ぐ。それにつき長重へ肝煎を依頼す〔花岳3〕。
☆5 浅野長晟の肝煎依頼の書状、長重の許へ到来す〔花岳3〕。長重、土井大炊頭利勝・井上新左衛門へこの件を伝える。土井等上田を宥めるよう返書を遣わす。長重、幕府重役の返答を浅野長晟へ伝える〔花岳3〕。
☆12.晦 浅野長晟江戸下向につき長重、迎えとして真壁より旅中の長晟書状を遣わす。追って返書到来す〔花岳3〕。 | 長重(33) |
長晟 |
元和7 |
1621 |
辛酉 |
後水尾 |
秀忠 |
☆正.24 暁、尾張義利江戸屋敷出火、長重屋敷、蔵1棟を残して類焼す。浅野長晟、長重を見舞う〔花岳3、久岳1〕。
☆正.25 浅野長晟、長重室へ緋縮緬・白綸子各5巻、長重嫡子犬千代(長直)へ小袖3を贈る。長重家来たちにも長晟より拝領あり〔花岳3、久岳1〕。
☆2.朔 浅野長晟、長重へ合力銀50貫目を贈る〔花岳3〕。
☆2.24 長重、書状にて機嫌窺した近藤筑後政勝・同掃部助恒勝へ礼と屋敷作事の旨を報ず〔花岳3〕。
☆4.28 浅野長晟長子又六郎、初めて将軍秀忠に拝謁し太刀・馬代銀1枚・呉服5を献上す〔鳳源1〕。
☆5 浅野長晟長庶子又六郎(後の因幡守長治・三次浅野家初代)、徳川家光・徳川宰相忠長へ御目見し、太刀・馬代銀1枚・御袷2・単物3宛献上す。長重等一門も同道しそれぞれ太刀・帷子を持参し、幕府年寄衆への挨拶にも同道す〔花岳3、鳳源1〕。
☆6.6 浅野又六郎、初めて良雲院(徳川家康側室市川氏・長晟室振姫生母)方へ赴き、緋綸子5巻を進上す。長重、同道す〔花岳3、鳳源1〕。
☆6.8 長重、新屋敷へ移徒す。幕府年寄井上主計頭正就より祝儀を贈られる〔花岳3〕。長重嫡子犬千代も新屋敷へ移徒す〔久岳1〕。
☆6 浅野又六郎、初めて松平(蒲生)忠郷・嫡子中務大輔忠知、松平忠昌屋敷へ赴く。長重、同道す〔花岳3、鳳源1〕。
☆7.3 晩、徳川義直(名古屋城主)屋敷より出火。上杉景勝(米沢城主)・毛利秀就(萩城主)・鍋島勝茂(佐賀城主)・長重等の屋敷類焼す〔梅津5〕。 | 長重(34) |
長晟 |
元和8 |
1622 |
壬戌 |
後水尾 |
秀忠 |
☆2.6 浅野長晟、長重の新屋敷へ来訪す。祝儀として長重へ銀50枚、長重室へ銀20枚、嫡子犬千代へ襦珍10巻を贈る〔花岳3・久岳1〕。浅野長晟、参勤す〔梅津5〕。
☆2.7 浅野長晟、佐竹義宣(久保田城主)へ参勤の旨を知らせる〔梅津5〕。
☆2.8 佐竹義宣(久保田城主)、家臣梅津政景をして浅野長晟へ参勤通知の返礼をせしむ。長晟来客中に付き長晟家臣田中淡路へ申し上げる〔梅津5〕。
☆3.24 朝、長重、数寄を催す。佐竹義宣(久保田城主)参る〔梅津5〕。
☆4.25 浅野長晟日光参詣につき長重、旅中の長晟へ進物を贈る。長晟、長重へ礼とともに帰路真壁へ立ち寄る件を伝える〔花岳3〕。
☆4.26 佐竹義宣(久保田城主)、下野河内郡薬師寺村より森友に至る。路次にて浅野長晟・有馬忠頼(久留米城主有馬豊氏世子)と参会す〔梅津5〕。
☆4.27 長重、迎えの書状を浅野長晟へ遣わす。長晟、今晩真壁到着予定を長重へ報ず〔花岳3〕。
☆4.28 浅野長晟、真壁旅宿を立ち、傳正寺へ参詣す〔花岳3〕。
☆5.朔 長重使者、細川三斎(忠興)を訪れる〔細川2-337〕。
☆6.8 佐竹義宣(久保田城主)、使者をして江戸城天守台普請手伝の加藤忠広(熊本城主)・浅野長晟を見舞わしむ。長晟への使者は梅津政景〔梅津5〕。
☆8.28 浅野長晟、江戸城天守台普請を勤め大方完成のところ裏門舛形築調を命ぜられるも病気につき、長重名代を勤む。その後長重、徳川秀忠の御前に召され、懇の上意あり〔花岳3〕。
☆10.7 本多上野介正純(下野宇都宮城主)改易につき長重、台命により宇都宮城請取・御番を勤む。追って浅野長晟より諸白2樽・三原酒1樽を贈られる[花岳3、寛政]。その後、古河城御番を命ぜられ、同所に在番す〔花岳3、寛政〕。
☆11.2 長重、堀正意(杏庵)へ機嫌窺の進物の礼と永井直勝古河城拝領・浅野長晟病気快方を報ず〔花岳3〕。
☆11.3 長重、古河城を元常陸笠間城主永井右近大夫直勝に渡し、幕府年寄衆の指示により真壁へ帰る〔花岳3〕。
☆11.9 浅野長晟、長重へ井上正就・永井直勝はじめ幕府年寄衆より江戸へ戻るようにとの沙汰を報ず〔花岳3〕。その後、長重、真壁を立ち江戸へ帰府す〔花岳3〕。
☆11.18 長重、登城し徳川秀忠の御前に於いて大坂夏の陣の行賞として常陸国笠間城・旧領真壁を合わせて5万石、更に新開の地3500石余を拝領す〔花岳3〕。長重、幕府年寄衆へ御礼に参る。浅野長晟も同道す〔花岳3〕。
☆11.25 浅野長晟、長重家臣の八島左門(長運3男)・大石良勝・大原主水・小畑次大夫・津田勘兵衛等へ祝儀を遣わす〔花岳3〕。
☆11.26 細川三斎(忠興)、嫡子忠利へ長重の笠間所替を報ず〔細川2-349〕。
☆12.9 浅野長晟、長重笠間入部の祝儀として太刀1腰・馬代銀100枚・小袖20・猩々緋51間を使者前田越前守を以て進上す〔花岳3〕。 |
長重(35) |
長晟 |
元和9 |
1623 |
癸亥 |
後水尾 |
秀忠
家光 |
☆8.19 浅野岩松(光晟)先だって上洛につき長重、馬を贈る〔花岳3〕。
☆8.25 浅野岩松より長重の許へ印子2到来す〔花岳3〕。
☆8.29 細川三斎(忠興)、浅野長晟に鷹を贈る〔細川2-378〕。
☆G.6 長重、浅野長晟より銀30貫を借用す〔花岳3〕。 | 長重(36) |
長晟 |
元和10
寛永元 |
1624 |
甲子 |
後水尾 |
家光 |
☆2.18 番、長重、数寄を催す。佐竹義宣(久保田城主)参る〔梅津5〕。
☆2.20 細川忠利、重臣長岡(松井)式部少輔興長・有吉頼母佐英貴へ大坂普請の様子を伝え、且つ加藤忠広・浅野長晟に次いで江戸に上るべき覚悟であると報ず〔松井5-759〕。
★2.30 改元。
☆3.2 朝、佐竹義宣(久保田城主)数寄を催す。客は長重・堀美作守親良(下野真岡城主)・杉原伯耆守長房(但馬豊岡邑主)・松下石見守重綱(烏山城主)・多羅尾久八光雅〔梅津5〕。
☆3.24 浅野長晟、参勤す〔梅津5〕。
☆5.3 浅野長晟より長重室への端午の祝儀(帷子料銀5枚)到来〔花岳3〕。
☆5.8 細川忠利、重臣長岡(松井)興長・有吉英貴・桑原主殿へ大坂普請の様子を知らせ、且つ堀三右衛門直之より長重への文箱を請取った旨を報ず〔松井3-520〕。
☆5.20 長重、普請のため江戸に下り進物を贈った竹腰文左衛門氏徳へ返書を遣わす〔花岳3〕。
☆是頃か 諱「長則」を「長重」と改む。
☆9.21 長重、浅野長晟移徒につき祝儀として鉢10を進上す〔花岳3〕。
☆11.22 長重嫡子犬千代、又市郎と改む。又市郎、浅野長晟へ小袖5・馬代銀1枚を進上す〔花岳1〕。 |
長重(37) |
長晟 |
寛永2 |
1625 |
乙丑 |
後水尾 |
家光 |
☆8.25 浅野又六郎、清光院(浅野幸長)13回忌につき御弔として銀2枚を「かんれい寺」(泉岳寺の別名龍雲院か)へ持参す〔鳳源1〕。 |
長重(38) |
長晟 |
寛永3 |
1626 |
丙寅 |
後水尾 |
家光 |
☆C.22 青松寺に於いて法問につき浅野又六郎、銀3枚を持参す〔鳳源1〕。
☆7.12 将軍家光、上洛の為江戸出発。長重供奉す〔花岳3〕。
☆7 長重、大御所秀忠へ扇子20本を献上す〔花岳3〕。
☆8.2 徳川家光、淀城着。長重、淀近辺久世村に屋敷出来し、逗留す〔花岳3〕。
☆8.7 長重、小河左近右衛門宗貞ゆり機嫌窺として進物を贈られしが家中の到来物何れも断りの旨を報ず〔花岳3〕。
☆8.16 将軍家光、大坂下向。長重供奉す。浅野長晟より炭1俵到来す〔花岳3〕。
☆8.19 浅野長晟、家光上洛につき四品に昇任す〔梅津5〕
☆8.23 浅野長晟侍従任官につき、長重祝儀として袷15・銀1枚を進上す〔花岳3〕。
☆8.27 諸大名、将軍家光の右大臣任官を賀すため淀城に出仕す〔梅津6〕。
☆9.6 後水尾天皇二条城へ行幸につき、家光御迎として参内。長重供奉す〔花岳3〕。
☆9.14 将軍家光、大坂下向。長重供奉し、浅野長晟屋敷に逗留す〔花岳3〕。
☆9.25 徳川家光、京都発駕。長重供奉す〔花岳3〕。日根野織部正吉明(下野壬生城主)より書状到来し、長重返書を遣わす。長重、暇乞いの為浅野長晟の京都旅宿に立ち寄り、長晟へもその旨を伝える〔花岳3〕。
☆10.晦 佐竹義宣(久保田城主)、長重へ小袖5・段子10巻を進上す。使者持参〔梅津6〕。 |
長重(39) |
長晟 |
寛永4 |
1627 |
丁卯 |
後水尾 |
家光 |
☆正.4 松平(蒲生)忠郷死去、無嗣のため改易につき長重、台命によって会津若松城城番を勤む〔花岳3、寛政〕。
☆2 細川三斎(忠興)、嫡子忠利へ蒲生忠郷の跡は浅野長晟会津移封の噂のあることを報ず〔細川2-528〕。
☆3.14 細川忠利、重臣長岡(松井)興長・有吉英貴・長岡(米田)監物是季へ浅野長晟下国等を報ず〔松井6-1190〕。
☆5.12 浅野長晟嫡子岩松(光晟)初めて江戸参勤につき長重、迎えの使者野村茂大夫を伊豆三島まで遣わす。岩松より下物あり〔花岳3〕。
☆5.16 浅野長晟嫡子岩松(光晟)、江戸着〔花岳3・久岳1〕。
☆5.17 長重、江戸参府の祝儀として浅野岩松に銀馬代、長重室は樽を進上す〔花岳3〕。長重嫡子又市郎、参府の祝儀として岩松へ帷子10・銀馬代を進上す〔久岳1〕。
☆5頃 細川三斎(忠興)、病を患う。立花宗茂(柳川城主)・長晟、これを案ずる〔細川2-538〕。
☆6.2 稲葉正勝(年寄・小田原城主)、細川三斎(忠興)・長重・谷衛友(丹波山家城主)を招く〔細川2-546〕。
☆6.10 浅野岩松、初めて長重を招き振舞す。これにより岩松、長重へ単物5・金馬代、長重室へ綸子10巻を贈る〔花岳3〕。また長重嫡子又市郎へも金馬代を贈る〔久岳1〕。
☆6.24 長重室逝去、法名臺雲院殿月心宗珠大姉(葬地泉岳寺か)〔花岳3、久岳1〕。
☆7.5 長重室、清光院(浅野幸長)の御弔として香奠銀30枚を泉岳寺へ供える〔鳳源1〕。
☆7 細川三斎(忠興)、嫡子忠利へ盆過ぎに浅野長晟・長重・杉原長房(豊岡邑主)・平野長泰(寄合)を茶に招きたき旨を報ず〔細川2-555〕。
☆7.7 細川三斎(忠興)、長重室菩提寺へ香奠を寄す〔細川2-554〕。
☆是頃か 長重室臺雲院の中陰会、愛宕西泉岳寺にて執行す〔細川2-553〕。
☆7.11 長重、松平(蒲生)忠知伊豫松山へ入国につき帷子10を使者長田市佑高吉を以て進上す〔花岳3〕。
☆7.13 細川三斎(忠興)、16日に浅野長晟・長重を招く〔細川2-556〕。
☆7.23 浅野又六郎、柳生又右衛門宗矩に入門し、馬代金1枚を持参す〔鳳源1〕。
☆8.4 浅野長晟嫡子岩松(光晟)、父長晟とともに登城し徳川家光・秀忠に拝謁す。そのため長重・杉原長房(豊岡邑主・長政女婿)、御前へ召される〔花岳3〕。
☆8.15 細川三斎(忠興)、嫡子忠利へ明16日な長重・木下延俊(日出城主)・平野長泰(寄合)・朽木牧斎(元綱)を招く旨を報ず〔細川2-566〕。
☆8.22 細川三斎(忠興)、嫡子忠利へ浅野長晟嫡子岩松(光晟)の名字拝領を報ず〔細川2-567〕。
☆8.26 浅野長晟嫡子岩松、徳川家光の御前において元服し、偏諱を賜り「光晟」と名乗り、「松平」姓を許される。また従五位下安藝守に叙任す〔寛政〕。
☆8.27 細川三斎(忠興)、浅野長晟嫡子光晟の安藝守任官の祝儀に使者を遣わす〔細川2-568〕。
☆9.2 細川三斎(忠興)、嫡子忠利へ明日地謡の者を連れて来邸するよう指示し、且つ長重・木下延俊(日出城主)も来ることを報ず〔細川2-571〕。
☆9.14 長重、家臣大石良勝を介して臺雲院逝去を書状にて弔した佐々木左膳に書状を遣わす〔花岳3〕。
☆10.4 細川三斎(忠興)、浅野長晟・森忠政(津山城主)・杉原長房(豊岡邑主)・平野長泰(寄合)を15日の茶会に招く〔細川2-580〕。 |
長重(40) |
長晟 |
寛永5 |
1628 |
戊辰 |
後水尾 |
家光 |
☆2.22 浅野又六郎、長生院(浅野長政室)13回忌につき長重指図にて下野大中寺へ香奠銀2枚を供える〔鳳源1〕。
☆3.15 浅野又六郎、長生院石塔廻り切石浅野家侍中奉加につき真壁傳正寺(か)へ金2両を遣わす〔鳳源1〕。
☆10.10 浅野長晟、参勤す。長晟、この旨を佐竹義宣(久保田城主)に報ず。義宣、家臣梅津政景を返礼の使者に遣わす〔梅津7〕。
☆10.27 佐竹義宣(久保田城主)、長重へ小袖10を進上す。使者持参〔梅津7〕。
☆11.2 佐竹義宣、永井信濃守尚政・長重へ書状を送る〔梅津7〕。
☆12.23 浅野長晟、長重数寄に招待され、銀5・袷50枚を持参す〔久岳1〕。 |
長重(41) |
長晟 |
寛永6 |
1629 |
己巳 |
後水尾
明正(女帝) |
家光 |
☆正.21 浅野又六郎、貝塚青松寺類焼につき小袖2を遣わす〔鳳源1〕。
☆正 長重、台命により江戸城西の丸虎口・土橋・石垣普請並びに所々堀浚を勤む〔花岳3、寛政〕。
☆2.20 長重、年頭の祝儀として進物を贈った堀正意(杏庵)に対して礼と共に尾張義直有馬湯治と西の丸普請の件を報ず〔花岳3〕。
☆3.21 佐竹義宣(久保田城主)、長重の所望により馬を贈る。馬は明後日秋田出発の予定〔梅津7〕。
☆3.23 佐竹義宣(久保田城主)、長重へ進上の馬を江戸へ上らせる〔梅津7〕。
☆3.29 長重、内蔵允跡目として加増につき進物を贈った寺本角左衛門忠一に礼状を遣わす〔花岳3〕。
☆5.16 佐竹義宣(久保田城主)、長重の所望により馬2疋を贈る。引率の厩の者、江戸より下る〔梅津7〕。
☆6.13 江戸城中に於いて伝奏衆(三條西実條・今出川経季)饗応の能あり。松平忠昌(福井城主)・松平仙千代(光長・高田城主)・加藤忠広(熊本城主)・浅野長晟・伊達政宗(仙台城主)・上杉定勝(米沢城主)・普請奉行陪観す〔梅津7〕。
☆8.8 長重、徳川家光より領知朱印状を賜る(53534石9斗余)〔花岳3〕。
☆11.19 松平(浅野)光晟、淀において長重女「うわ姫」(のち三次初代長治室)へ銀20枚を贈る〔花岳3〕。 |
長重(42) |
長晟
|
寛永7 |
1630 |
庚午 |
明正 |
家光 |
☆4.13 長重嫡子又市郎(のちの長直)、丹羽五郎左衛門長重(陸奥白河城主)女と祝言が整う。浅野長晟、長重へ祝儀として小袖50を使者前田越前守を以て進上す[花岳3・久岳1]。また、又市郎へ太刀・小袖20・銀50枚、又市郎室へは小袖10・縮緬10巻を贈る[久岳1]。松平(浅野)光晟、又市郎へ小袖10・大判1枚、又市郎室へ小袖10・越前綿100把を贈る[久岳1]。
☆5.22 細川三斎、子息忠利へ長重腫物快癒を報ず[松井5-760]。
☆6.8 長重、又市郎・丹羽長重女祝言につき、松平(浅野)光晟へ使者を以て知らせる。光晟より使者へ下物あり[花岳3]。
☆8.13 長重、又市郎祝言の祝儀として進物を献じた田原忠右衛門重俊に礼状を遣わす[花岳3]。
☆12.3 浅野又六郎、従五位下に叙し、因幡守と改める(以後「長治」で統一)[鳳源1]。 | 長重(43) |
長晟
|
寛永8 |
1631 |
辛未 |
明正 |
家光 |
☆正.2 長重、徳川家光へ年頭の賀儀を申し上げ、御流を頂戴す〔花岳3〕。
☆正.15 浅野長晟、長重屋敷へ来訪し又市郎室に初めて対顔し、縮緬10巻を進上す〔花岳3、久岳1〕。
☆正.17 将軍家光、上野東照宮へ社参。長重供奉す〔花岳3〕。
☆3.12 今中権頭光広(先年、浅野長晟の勘気を被る)迷惑につき松平(浅野)光晟・長重相談して「相済様」にとの旨を三次浅野長治、同人へ書状を以て伝える〔鳳源2〕。
☆4.17 将軍家光、上野東照宮へ社参。長重供奉す〔花岳3〕。
☆5.22 浅野長晟、長庶子因幡守長治と長重女うわ姫の縁組を幕府年寄衆へ申し入れたところ上聞に達し、土井利勝・酒井雅楽頭忠世・同讃岐守忠勝より許可を得る〔花岳3、久岳1、鳳源2〕。
☆5.23 浅野長晟、松平定綱・定綱室(長政女)へ長治の縁組を報ず〔花岳3、鳳源2〕。
☆6.朔 浅野長晟・長重、縁組の御礼のため登城し、徳川家光・秀忠へ袷10を献上す。浅野長治も共に登城し、御礼とともに祝儀を献上す。また、年寄衆へも廻勤す〔花岳3、鳳源2〕。
☆6.6 浅野長晟使者湯川木工大夫、秋田へ参る〔梅津8〕。
☆6.7 佐竹義宣(久保田城主)、家臣梅津政景をして浅野長晟使者湯川をその宿にて饗せしむ。また長晟への返書を遣わす〔梅津8〕。浅野長晟使者湯川木工大夫、佐竹義宣家臣梅津政景の許へ参り、今日の御礼と帰る旨を申す。義宣、湯川に伝馬・宿賄を給す〔梅津8〕。
☆6.11 浅野長治、結納の祝儀として長重へ単物・帷子各2、うわ姫へ単物2・帷子1を進上す〔花岳3〕。
☆6.21 三次浅野長治、結納として長重へ単物・帷子各2、うわ姫へは単物3・帷子1を進上す〔鳳源2〕。
☆6.27 佐竹義宣(久保田城主)、浅野長晟へ実弟蘆名義勝死去弔に対する返状を差し上げる〔梅津8〕。
☆7.2 佐竹義宣(久保田城主)、浅野長晟へ贈る馬を選定する〔梅津8〕。
☆7.3 佐竹義宣、浅野長晟に馬を贈る。その贈進用の馬3疋、長澤甚丞が曳きて秋田を発す〔梅津8〕。
☆7.9 うわ姫、淀を発輿す。浅野長晟・長治の迎えとして組頭石本土佐守、松平定綱より平井源介正次・宰相等御供す〔花岳3、鳳源2〕。
☆7.23 うわ姫、江戸麻布屋敷へ到着〔花岳3、鳳源2〕。
☆7.24 浅野長晟・長治、うわ姫との祝言を内々にて執行したき旨を酒井忠勝に願い出て内意を得る〔鳳源2〕。
☆7.28 浅野長治・うわ姫祝言〔花岳3、久岳1、鳳源2〕。
☆7.晦 浅野長晟・光晟、長治夫妻へ祝儀を進上す。長治夫妻よりも返礼あり。また、長重嫡子長忠(長直)・丹羽五郎左衛門長重も長治夫妻へ進物を進上す。これも長治夫妻より返礼あり〔鳳源2〕。
☆8.4 浅野長治聟入、長重へ単物・帷子各3、銀1枚、長重嫡子長忠(長直)へ単物、帷子各2・銀1枚を進上す。うわ姫も長重へ袷・帷子各2、長忠へ単物・帷子各2、長忠室(丹羽氏)へは単物・帷子各2を贈る。浅野長晟・光晟、長重屋敷へ来訪し単物・帷子5、大判1枚を贈る。光晟は単物・帷子各3、銀1枚を贈る[花岳3・久岳1・鳳源2]。また、長晟、うわ姫へ御色直につき袷2・さけ帯1筋を進上す[鳳源2]。
☆8.7 浅野長治、幕閣へ祝儀を進上す。うわ姫も同じ[鳳源2]。
☆8.9 浅野長治・うわ姫夫妻、座敷新築につき江戸愛宕下真福寺へ御祈念の布施として銀1枚を遣わす[鳳源2]。
☆8.10 長重、祝儀の進物を贈った京都呉服所辻紹二へ礼状を遣わす[花岳3]。
☆10.24 浅野長治、松平定綱御内宰相へ銀5枚を遣わす。うわ姫よりも物を下さる[鳳源2]。
☆12.3 長重嫡子又市郎、従五位下内匠頭に叙任[久岳1、寛政]。
☆12.29 浅野長晟、うわ姫へ御遣用として銀50枚を進上す[鳳源2]。
※このころの又市郎の諱は長忠(以後、長直で統一)。 |
長重(44) |
長晟 |
寛永9 |
1632 |
壬申 |
明正 |
家光 |
☆正.24 大御所秀忠、西の丸にて薨去(54歳)。浅野長治、秀忠薨去につき愁悼の和歌を詠ず〔鳳源2〕。
☆正 長重、大御所秀忠遺物として御銀を拝領す〔花岳3〕。
☆正.26 夜、大御所秀忠の遺骸、出棺〔花岳3〕。
☆2.11 浅野長晟、大御所秀忠遺物の拝領銀5000枚の内100貫目を長重へ贈る〔花岳3〕。
☆2.22 勅使西園寺前内大臣公益、江戸着。大御所秀忠に勅諡・贈位あり「台徳院殿贈正一位大相國公」、道号「紅蓮社孝誉光月大居士」〔花岳3〕。
☆2上旬〜3中旬 長重、台徳院殿御霊屋普請を勤む〔花岳3〕。
☆是頃 長重、台徳院霊廟に石燈籠を献納す〔花岳3〕。
☆3.3 浅野長晟、大坂着。痰気を発す〔花岳3〕。
☆3.8 長重、浅野長晟快気につき大坂屋敷番進藤為右衛門・城伊織へ書状を遣わす〔花岳3〕。
☆4 長重、将軍家光日光山参詣につき下野今市御旅館の普請を勤む〔寛政〕。
☆7.14 公家衆江戸下向につき長重、近衛殿御馳走人を命ぜられる〔花岳3〕。
☆8.2 長重家臣大石良勝、長重発病につき容体を稲川角兵衛を以て広島浅野本家へ知らせる〔花岳3〕。
☆8 長直、日光へ参詣。浅野長晟、長直へ見舞状を遣わす〔久岳1〕。
☆8 長重、重体につき徳川家光より見舞の使者として御書院番頭永井日向守直清が遣わされる〔花岳3〕。松平(浅野)光晟、毎日長重屋敷へ詰め、且つ江戸愛宕下真福寺へ病気平癒の祈祷をを行わせる〔花岳3〕。
☆9.3 長重、逝去す(45歳)。法名華嶽院殿鉄山道牛大居士、葬地真壁傳正寺・牌所江戸芝泉岳寺〔梅津8、花岳3、久岳1、寛政〕。浅野長晟、広島より江戸へ下る路次にてにて逝去す〔梅津8、寛政〕。
☆9.15 松平(浅野)光晟、香典銀50枚を使者小嶋左近右衛門貞澄を以て供える。また傳正寺へも御弔香典銀10枚を使者同人を以て供える〔花岳3、久岳1〕。
☆10.15 浅野長晟逝去につき長直、中山与兵衛を遣わして香奠大判1枚を広島国泰寺へ供える〔久岳1〕。
☆10.18 長直、松平(浅野)光晟へ父病中の際の厚意を謝す〔久岳1〕。
☆10.29 長直、長重遺領を相続し、柳間に候す〔久岳1、寛政〕。松平(浅野)光晟、父の遺命により浅野長治へ5万石分知す(内意による)〔鳳源2〕。
☆11.朔 長直、継目の御礼のため登城し、徳川家光へ太刀・綿100把・金20枚並びに長重遺物の掛物・屏風1双を献上す〔久岳1、寛政〕。長直、松平(浅野)光晟の遺領相続の祝儀として馬を進上す。光晟、長直へ小袖10・銀1枚、長直室へ越前綿100把を贈る〔久岳1〕。浅野長治、自分の分知の祝儀として長直へ小袖5・銀1枚、長直室へ縮緬10巻を贈る〔久岳1〕。浅野長治、西丸へ召させられ5万石分知を許可される〔鳳源2〕。
☆11.2 浅野長治の居所、備後三吉(寛文4年、三次と改称)・東城のうちに決まる〔鳳源2〕。
☆11.14 浅野長晟の遺物としてうわ姫の許へ金200両・御屏風1双到来す〔鳳源2〕。
☆11.19 松平(浅野)光晟・三吉浅野長治、江戸を発す〔鳳源2〕。
☆11.28 長直、松平(浅野)光晟・浅野長治入国の祝儀として岡嶋太郎兵衛を遣わし、且つ道中大坂より上船の手配を進藤猪右衛門・城伊織に命ず〔久岳1〕。
☆12.8 浅野長治、広島着〔鳳源2〕。
☆12.22 浅野長治、三吉家中へ御掟筋の条々を発す〔鳳源2〕。
☆12中旬 浅野長治、備後三吉へ入部す〔鳳源2〕。
☆12 松平(浅野)光晟、長直へ西条柿5把を贈り、到来す〔久岳1〕。
松平(浅野)光晟、歳暮の祝儀として長直へ小袖1重を贈り、到来す〔久岳1〕。
☆是歳 徳川忠長(駿府城主)家臣大久保将監忠尚・長次郎父子、長直に御預となる〔寛政〕。三吉浅野長治、菩提所として比熊山鳳源寺を建立す。開山慈眼和尚〔鳳源2〕。 |
長重(45)
長直(23) |
長晟
光晟 |