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赤穂事件関係年譜 8
【赤穂事件補遺年譜 1】
−元禄17(宝永元・1704)〜宝暦8(1758)−
更新 2004/11/28

《年譜》
年 号 西 暦 干支 天 皇 将軍 事 項 赤穂 本家
元禄17
宝永元
1704甲申東山綱吉 ☆正.27 熊本藩士堀部友政(金丸甥)、隠居す[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
★3.13 改元。
- 綱長
宝永2 1705 乙酉 東山 綱吉 ☆7.27 熊本藩士堀部友政(金丸甥)没す(72歳)。法名「仁叔宗寛居士」[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附、熊本藩年表稿]。 - 綱長
宝永31706丙戌東山綱吉☆正.28 備中西江原藩主森和泉守長直、将軍綱吉より播州赤穂城を拝領す[森家大系図]。
☆4.23 森長直、播磨赤穂城を請取る[森家大系図]。旧大石邸は国幣製造所に充て、長屋は中士の住居として使用される[新義6]。
- 綱長
宝永4 1707 丁亥 東山 綱吉 - 綱長
宝永5 1708 戊子 東山 綱吉 ☆10 堀部弥兵衛金丸養子文五郎言真、熊本城主細川綱利の中小姓に召し出され5人扶持20石を賜る[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。- 綱長
吉長
宝永6 1709 己丑 東山
中御門
綱吉
家宣
☆8.20 浅野長廣、御預御免。江戸に参るよう命ぜられる[冷光3・寛政]。
☆9.29 浅野長廣、広島出船[冷光3]。
☆10.25 浅野長廣、江戸着[冷光3]。
長廣 吉長
宝永7 1710 庚寅 中御門 家宣 ☆6.28 浅野長廣、松平(浅野)吉長の周旋により江戸城に登城し、将軍家宣に御目見す[冷光3・寛政]。
☆6 熊本藩士堀部文五郎言真(金丸養子)、新知300石を賜り御小姓組となる[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
☆9.16 浅野長廣、将軍家宣より安房国のうちに新知500石(安房国平郡正木村・川名村、同国朝夷郡東江見村)を拝領し、寄合となる[冷光3・播磨赤穂浅野家譜]。
☆11.2 吉田忠左衛門兼亮妻リン、三河にて没(65歳)、法名安性院嘉窓正慶大姉。牛田村蔵寺に葬られる[泉蔵寺墓碑]。
長廣 吉長
宝永8
正徳元
1711 辛卯 中御門 家宣 ☆10 熊本藩士堀部知英(金丸大甥)、御用人となり200石加増される[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。 長廣 吉長
正徳2 1712 壬辰 中御門 家宣 ☆7 熊本藩士堀部知英(金丸大甥)、200石を加増され役料100石を拝領す[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。 長廣 吉長
正徳3 1713 癸巳 中御門 家継 長廣 吉長
正徳4 1714 甲午 中御門 家継 ☆5.25 浅野長廣室土方氏没。法名「蓮葉院殿貞圓慈性大姉」、葬地泉岳寺[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。 長廣 吉長
正徳5 1715 乙未 中御門 家継 ☆8 熊本藩御用人堀部知英(金丸大甥)、新組頭となる[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。 長廣 吉長
正徳6
享保元
1716 丙申 中御門 家継
吉宗
☆A 熊本藩新組頭堀部知英(金丸大甥)、参勤に供奉して江戸に下る[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。
★6.22 改元。
☆8.6 堀部弥兵衛金丸妻「わか」没す。法名「青雲院香山正桂大姉」、墓所芝青松寺[堀部史−堀部氏系図、青松寺堀部一族墓碑銘]。
長廣 吉長
享保2 1717 丁酉 中御門 吉宗 ☆8.7 熊本藩御用人堀部知英(金丸大甥)、江戸に於いて急死す(42歳)。法名「禅龍院機峰了頓居士」、墓所江戸正覚院[堀部史−堀部氏系図、細川家家臣先祖附]。 長廣 吉長
享保3 1718 戊戌 中御門 吉宗 ☆2.15 元赤穂浅野家番頭近藤源八正憲、没す。法名「臥龍院殿関鐵道源大居士」、赤穂随鴎寺に葬る[赤穂随鴎寺近藤正憲墓碑銘]。 長廣 吉長
享保4 1719 己亥 中御門 吉宗 長廣 吉長
享保5 1720 庚子 中御門 吉宗 ☆5.25 堀部安兵衛武庸妻「ホリ」(きち)没す。法名「芳山祖春大姉」[堀部氏−堀部氏系図]。 長廣 吉長
享保6 1721 辛丑 中御門 吉宗 長廣 吉長
享保7 1722 壬寅 中御門 吉宗 ☆8.24 赤穂藩主森長直、赤穂にて卒す(51歳)。法名「鐵性院殿一峯淨空大居士」、花岳寺に葬る[森家大系図]。 長廣 吉長
享保8 1723 癸卯 中御門 吉宗 長廣 吉長
享保9 1724 甲辰 中御門 吉宗 ☆4.24 熊本藩士堀部是慶(庄兵衛惟友・金丸甥で友政弟)没す(82歳)。法名「悦堂是慶信士」[堀部史−堀部氏系図]。
☆7.19 浅野長廣隠居し、長男大學長純が家を継ぐ[寛政・播磨赤穂浅野家譜]。
長廣
長純
吉長
享保10 1725 乙巳 中御門 吉宗 長純 吉長
享保11 1726 丙午 中御門 吉宗☆正.5 元赤穂浅野家江戸家老安井彦右衛門、国元にて没。法名「光安道照居士」[国昌寺過去帳]。
☆是歳 旧大石邸修繕入札行われる[新義6]。
長純 吉長
享保12 1727 丁未 中御門 吉宗 長純 吉長
享保13 1728 戊申 中御門 吉宗 長純
享保14 1729 己酉 中御門 吉宗 ☆是歳 旧大石邸出火。長屋門を残して邸宅は類焼す。焼跡広場と庭園池泉を利用して藩札紙漉場となり、長屋門には紙漉職人が居住する[新義6]。 長純 吉長
享保15 1730 庚戌 中御門 吉宗 ☆9.13 赤穂藩主森長孝女「峯」早世す(6歳)。法名「微妙院殿観超自慶禅童子」、赤穂花岳寺に葬る[森家大系図]。 長純 吉長
享保16 1731 辛亥 中御門 吉宗 長純 吉長
享保17 1732 壬子 中御門 吉宗 ☆D.2 何某、伊藤家伝来の「吉田忠左衛門覚書」を筆写す[纂書1]。 長純 吉長
享保18 1733 癸丑 中御門 吉宗 長純 吉長
享保19 1734 甲寅 中御門 吉宗☆6.20 浅野長廣没す(65歳)。法名「亮監院殿月清凉山居士」、葬地泉岳寺[寛政・播磨赤穂浅野家譜・泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。 長純 吉長
享保20 1735 乙卯 中御門
桜町
吉宗 長純 吉長
享保21
元文元
1736 丙辰 桜町 吉宗 ★4.28 改元。長純 吉長
元文2 1737 丁巳 桜町 吉宗 長純 吉長
元文3 1738 戊午 桜町 吉宗 長純 吉長
元文4 1739 己未 桜町 吉宗 長純 吉長
元文5 1740 庚申 桜町 吉宗 長純 吉長
元文6
寛保元
1741 辛酉 桜町 吉宗 ★2.27 改元。 長純 吉長
寛保2 1742 壬戌 桜町 吉宗 長純 吉長
寛保3 1743 癸亥 桜町 吉宗 長純 吉長
寛保4
延享元
1744 甲子 桜町 吉宗 ★2.21 改元 長純 吉長
延享2 1745 乙丑 桜町 吉宗
家重
☆9.13 浅野長純(大學家)、小性組番士となる[寛政・播磨赤穂浅野家譜]。長純 吉長
延享3 1746 丙寅 桜町 家重 ☆6.20 浅野長純(大學家)室没。法名「心珠院殿輝岳良さん大姉」、葬地泉岳寺[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。
☆12.6 赤穂藩主森政房、赤穂に於いて卒す(33歳)。法名大観院殿圓覚淨智大居士、花岳寺に葬る[森家大系図]。
長純 吉長
延享4 1747 丁卯 桜町
桃園
家重 ☆6.23 熊本藩士成田快翁(伊右衛門泰頼・金丸大甥で友政3男)、没す(70歳)。法名「鐵樹院黙然快翁居士[堀部史−堀部氏系図]。 長純 吉長
延享5
寛延元
1748 戊辰 桃園 家重 ★7.12 改元。長純 吉長
寛延2 1749 己巳 桃園 家重 ☆2.14 赤穂藩主森和泉守忠洪、赤穂城二の丸庭園中之島に浅野家三代(長直・長友・長矩)を祀る祠を建立し「豊亮神」と号す[森家大系図]。 長純 吉長
寛延3 1750 庚午 桃園 家重 ☆11.6 萩原房良、四十六士批判一巻を筆写す[纂書1]。
☆11.8 萩原房良、四十六士批判一巻筆写完了す[纂書1]。
長純 吉長
寛延4
宝暦元
1751 辛未 桃園 家重 ★10.27 改元。長純 吉長
宗恒
宝暦2 1752 壬申 桃園 家重 長純 宗恒
宝暦3 1753 癸酉 桃園 家重 長純 宗恒
宝暦4 1754 庚戌 桃園 家重 ☆7.11 浅野長純(大學家)没す(48歳、「寛政」・「播磨赤穂浅野家譜」には13日とあり)。法名「観月院殿相屋伊圓居士」、葬地泉岳寺[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。
☆10.4 浅野長純長男長兵衛長延(大學家)、父の遺知500石を賜る[寛政・播磨赤穂浅野家譜]。
☆11.25 浅野長延(大學家)、はじめて将軍家重に拝謁す[寛政]。
長純
長延
宗恒
宝暦5 1755 乙亥 桃園 家重 ☆3.29 浅野長延、小性組番士となる[寛政・播磨赤穂浅野家譜]。 長延 宗恒
宝暦6 1756 丙子 桃園 家重 ☆10.23 手島勝従、内藤氏蔵本「鳩巣先生義人録後語」を筆写す[纂書1]。 長延 宗恒
宝暦7 1757 丁丑 桃園 家重 長延 宗恒
宝暦8 1758 戊寅 桃園 家重 長延 宗恒
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