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赤穂事件関係年譜 13
【赤穂事件補遺年譜 6】
−大正15年・昭和元年(1926)〜昭和63年(1988)−
更新 2011/03/07

《年譜》
年 号 西 暦 干支天皇
内閣総理大臣
事 項 本家
大正15
昭和元
1926丙寅昭和岩槻禮次郎 ☆1 赤穂大石神社飯尾巌夫社掌一家、大石邸長屋門より神社社務所職舎へ移る。このとき長屋門西側に増設されていた便所・台所等は取り払われる[新義6・歴史]。
☆4 赤穂大石神社総代寺田啓二・福井孫平・宮崎寅治・三木照治から大石神社へ御鳳輦1基・御翳1基・御錦蓋1基を奉納[歴史]。
☆12.14 兵庫県豊岡町長伊地智三郎右衛門氏が会長となり豊岡義士会が設立される。
★12.25 改元。
長勲
昭和2 1927 丁卯 昭和 岩槻禮次郎
田中義一
☆1 赤穂大石神社鳳輦格納庫建設される(戦後、史料庫と併用)[新義60]。
☆4 赤穂大石神社春祭に際して初めて御鳳輦による神幸式が行われる[歴史]。
☆5 兵庫県知事山縣治朗一行、赤穂大石神社に参拝。飯尾巌夫社掌・赤穂町長西谷雅等、大石神社県社昇格を陳情す[歴史]。
☆8 内務大臣鈴木喜三郎、赤穂大石神社参拝。飯尾巌夫社掌・赤穂町長西谷雅等、大石神社県社昇格を陳情す[歴史]。
☆12.14 赤穂の青年団の奉仕によって初めて義士行列が行われる[歴史]。
☆是歳 北海道泉学寺(後の北泉岳寺)建立者兼住職の皆上正学師遷化[全義1]。赤穂大石神社に御鳳輦と御輿を格納するための神庫1棟を司波尚太郎・前川亀治が建設寄贈[歴史]。
長勲
昭和31928戊辰昭和田中義一☆2.10 赤穂大石神社、無格社より県社に列せられ、神饌幣帛料供進神社としての指定を受ける。これにより社掌飯尾巌夫は社司となる[歴史]。
☆3 赤穂大石神社の大石稲荷神社の新築造営遷座祭挙行される[歴史]。
☆4.10 赤穂浅野家当主浅野正言氏死去(86歳)、法名春光院正音實言居士。泉岳寺に葬られる[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。
☆7 赤穂大石神社、県社昇格奉告祭を執行す[歴史]。
☆8 赤穂尋常小学校移転につき校舎に使用の旧赤穂藩庁殿舎は赤穂神社に金50円で払い下げられる[新義6]。
☆12 花岳寺住職仙珪和尚表功碑、赤穂大石神社に建設される[新義60・歴史]。
☆是歳 赤穂大石神社県社昇格を記念して大石邸阯を含む境内の整備事業が計画される[新義6]。西宮木村製薬社長木村秀蔵ら、赤穂大石神社に絵馬殿1棟建立寄贈す[新義6]。赤穂大石神社摂社浅山神社の神社明細帳脱漏につき申請のところ編入許可。これを機会に同社前敷石新設整備す[歴史]。
長勲
昭和4 1929 己巳 昭和 田中義一
濱口雄幸
☆3.17 岩崎文彦(70歳)、「堀部金丸覚書」の臨写本を作成する。
☆3.25 岩崎文彦、「堀部金丸覚書」臨写本を完成させる。
☆11.1 大阪長堀橋高島屋に於いて「赤穂義士 忠臣蔵大展覧会」が開催される(〜11/29まで)。
☆12.14 山科大石閑居址に於いて義士講演会が開催される。
長勲
昭和5 1930 庚午 昭和 濱口雄幸 ☆10 伏見宮博義王ご夫妻赤穂大石神社参拝を記念して絵馬殿並びに参拝者無料休憩所を手水舎前参道西側に建設。アース製薬木村秀蔵社長より奉献[歴史]。
☆是歳 茨城県笠間にて笠間義士会が設立される。北海道泉学寺(後の北泉岳寺)住職皆上正学師、境内に赤穂義士墓建立を計画す。
長勲
昭和6 1931 辛未 昭和 濱口雄幸
岩槻禮次郎
犬養 毅
☆3.14 山田治一郎・船越直治氏等によって山科義士会設立され、伯爵清閑寺経方氏が会長となる。
☆是歳 東京大学史料編纂所、「早水家文書」(義士早水藤左衛門満堯の家に伝来)を調査、影写本を作成する。
長勲
昭和7 1932 壬申 昭和 犬養 毅
高橋是清
斉藤 實
☆8 赤穂大石神社、赤穂神社より旧赤穂城本丸御殿玄関(唐破風・天井・式台付)を購入し、大石邸長屋門南門長屋隅に移築す[赤穂城本丸御殿玄関板書]。
☆9.15 森可久氏(忠恕氏婿養子)、森子爵家を相続する[旧華族]。
☆9 旧赤穂藩庁(本丸御殿)玄関、棟梁山本福治(惟寿)によって修理される[新義6]。
☆12.14 赤穂大石神社飯尾巌夫社司、NHK大阪放送局より義士講演を全国放送[歴史]。
☆是歳 赤穂城跡大手門反橋復元[新義62]。
長勲
昭和8 1933 癸酉 昭和 斎藤 實 ☆是頃 京都府知事を会長とする大石神社(山科)建設会が京都府内に組織される。その他外郭団体も神社建設運動す。
☆12.14 京都山科西野山の有志により山科大石神社地鎮祭が挙行される。
☆是歳 大石家後見人の後藤武夫死去。
大石邸阯池泉周囲に玉垣新設[新義6・歴史]。兵庫県立赤穂中学校職員・生徒の奉仕により大石邸阯の池泉浚渫清掃が行われる[新義6]。
長勲
昭和9 1934 庚戌 昭和 斎藤 實
岡田啓介
☆4 大石邸長屋門の北の門長屋、大石神社の義士宝物陳列所として内部改造され、南の門長屋も貴賓休憩室として改造される[新義6・歴史]。 長勲
昭和10 1935 乙亥 昭和 岡田啓介 ☆2.1 赤穂城跡大手門の高麗門と濠端の間に太鼓橋を架橋。赤穂大石神社総代司波尚太郎氏奉納[歴史]。
☆12.13 山科大石神社、本殿・拝殿・回廊・社務所等が完成し、鎮座祭が斎行される[全義5]。
☆是歳 水野定吉、堀内家より「堀内家文書」を入手する[赤穂義士真相堀内傳右衛門覚書]。
長勲
昭和11 1936 丙子 昭和 岡田啓介
廣田弘毅
長勲
昭和12 1937 丁丑 昭和 廣田弘毅
林 銑十郎
近衛文麿
☆2.1 旧広島藩主浅野長勲侯爵、広島泉邸にて死去(96歳)[旧華族・浅野長勲自叙伝]。
☆2.14 勅使侍従徳大寺實厚、広島泉邸に差遣され故浅野長勲の霊前へ御榊・神饌・幣帛・祭粢を賜う[浅野長勲自叙伝]。午後8時、故浅野長勲慰霊祭執行さる[浅野長勲自叙伝]。
☆2.15 午前9時30分、故浅野長勲出棺祭執行。午後12時広島西練兵場へ出棺。午後1時葬儀、午後2時50分終了。遺骸は新庄山へ埋葬される。午後7時30分埋葬完了。午後8時、喪主浅野長之、広島泉邸にて帰家祭を執行す[浅野長勲自叙伝]。
☆3.1 浅野長勲養子長之氏、浅野侯爵家を相続する[旧華族]。
☆4 山科大石神社、府社に昇格[全義5]。
☆7.5 大石家当主大石良興氏中野結核診療所に於いて没(33歳)、法名真淳院徳温良興居士。泉岳寺に葬られる[新撰大石系図]。
☆12 山科大石神社に天野屋利兵衛を祀る末社(義人社)が鎮座される。
長勲
長之
昭和13 1938 戊寅 昭和 近衛文麿 ☆2 赤穂大石神社表参道石段下から石橋までに敷石を建設。大阪野尻藤蔵氏奉納[歴史]。
☆12.12 赤穂浅野家先代故浅野正言氏未亡人房氏死去(86歳)、法名陽光院泰音實房大姉。泉岳寺に葬られる[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。
長之
昭和14 1939 己卯 昭和 近衛文麿
平沼騏一郎
阿部信行
☆2.12 赤穂義士会初代会長武川壽輔氏死去。
☆是歳 赤穂大石神社、赤穂町有地を寄贈される。また、隣接の民有地150坪も有償で入手す[歴史]。
長之
昭和15 1940 庚辰 昭和 阿部信行
米内光政
近衛文麿
☆3 東京帝国大学史料編纂所、花岳寺所蔵文書を影写す[花岳寺所蔵文書]。
☆11 赤穂大石神社飯尾巌夫社司、宮城(現皇居)前に於いて挙行された紀元二千六百年記念式典に参列、記念章を受く[歴史]。赤穂大石神社東脇参道に大鳥居建設並びに拝殿石階下両側に石燈籠1対を設置。奉納者前川亀治・よし・義男[歴史]。
☆12.20 侯爵浅野長之、隠居す[旧華族]。
☆12.28 浅野長之長男長武、浅野侯爵家を相続する[旧華族]。
☆是歳 紀元二千六百年を記念して赤穂大石神社境内各所に杉・檜の献木を受ける[歴史]。
長之
長武
昭和16 1941 辛巳 昭和 近衛文麿
東條英機
☆2.8 太平洋戦争勃発により赤穂大石神社に於いて戦勝奉告祭及び米英撃滅祈願祭挙行[歴史]。
☆3.20 赤穂大石神社飯尾巌夫社司の長男精氏、國學院大學を卒業、官幣大社明治神宮出仕を命ぜられる[歴史]。
☆12.13 婦女新聞社社長で義士研究家の福島四郎(拝蘭)氏、武士道歌碑を赤穂大石神社に奉納。絵馬殿北寄西側に建立す[歴史]。
☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫社司、兵庫県神職会総裁兵庫県知事坂千秋より表彰を受ける[歴史]。
長武
昭和17 1942 壬午 昭和 東條英機 ☆10 神戸湊川神社の神門を移して赤穂大石神社神門とす[新義6]。大石邸阯南側庭園沿いに玉垣建立す[新義6・歴史]。 長武
昭和18 1943 癸未 昭和 東條英機 ☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫社司長男精氏、東京府知事より明治神宮主典に任じられる[歴史]。 長武
昭和19 1944 甲申 昭和 東條英機
小磯國昭
☆5.22 四十七士冨森正因後裔冨森長太郎氏(篤子)死去す(66歳)。法名寶鏡長圓居士、高輪泉岳寺に葬られる[泉岳寺冨森家墓碑銘]。
☆8 赤穂大石神社飯尾巌夫社司、内閣辞令にて奏任官をもって待遇せらる[歴史]。
☆9 赤穂大石神社飯尾巌夫社司、従七位に叙せらる[歴史]。
長武
昭和20 1945 乙酉 昭和 小磯國昭
鈴木貫太郎
東久邇宮稔彦王
幣原喜重郎
☆8 赤穂大石神社飯尾巌夫社司、公職追放となり、大石邸址の樹木も盗伐され池の鯉も盗難に遭うなど神社境内荒廃す[歴史]。
☆是歳 豊岡義士会、一時中断。
長武
昭和21 1946 丙戌 昭和 幣原喜重郎
吉田 茂
☆1 赤穂大石神社飯尾巌夫社司、神社本庁設立準備委員に委嘱される[歴史]。
☆3 赤穂大石神社飯尾巌夫社司、神祇院廃止神社制度改変により兵庫県神社庁赤穂市・相生市赤穂郡支部長に就任[歴史]。
☆4 赤穂大石神社飯尾巌夫社司、神社本庁より明階位を受け大石神社宮司となる[歴史]。
☆5 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司長男精氏、明階位を受ける[歴史]。
☆11.14 森子爵家隠居忠恕氏死去す[旧華族]。
長武
昭和22 1947 丁亥 昭和 吉田 茂
片山 哲
☆4.23 浅野侯爵家隠居長之死去[旧華族]。
☆4 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司長男精氏、明治神宮権禰宜に任じられる[歴史]。
☆是歳 赤穂義士会、「赤穂まつり奉賛会」と改称し事務局を赤穂町役場から赤穂商工会議所に移す。
長武
昭和23 1948 戊子 昭和 片山 哲
芦田 均
吉田 茂
昭和24 1949 己丑 昭和 吉田 茂 ☆2 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、兵庫県神社庁理事に当選[歴史]。
☆7 赤穂藩主森家祖先7将を祀っている旧郷社赤穂神社、赤穂大石神社に合祀される[新義60・歴史]。
☆10.25 旧森子爵家可久氏の長男可基氏死去[旧華族]。
☆是歳 伊丹白雪酒造の小西新右衛門氏より赤穂大石神社へ能舞台1棟並びに掛りなど1式を寄贈す。能舞台は池泉に面して移築、橋掛りは大石邸長屋門に連絡して掛けられる。これにより絵馬殿移転、長屋門に設けられていた義士宝物陳列所は閉鎖され、以後は遺物社宝収蔵庫となる[新義6・歴史]。浅野家三代と山鹿素行を祀る浅山神社の祭神浅野家三代は大石神社本殿に遷座されたため、山鹿神社と改称す[新義60]。赤穂天満宮・恵比須神社、大石神社へ合祀[新義60]。
昭和25 1950 庚寅 昭和 吉田 茂 ☆1.12 赤穂浅野家当主浅野長和氏死去(80歳)、法名長光院瑞巌道和居士。泉岳寺に葬られる[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。
☆3 赤穂大石神社絵馬殿を長屋門前庭に移築。同時に茶室1棟を池泉に面して新築す[歴史]。
☆春 大石邸長屋門南門長屋に廊下でつなぐ茶室が建立される[新義6]。
☆是歳 赤穂まつり奉賛会、赤穂義士会の名称に復す。赤穂城跡本丸天守台の忠魂碑(赤穂中学出身の大東亜戦争戦没者)を赤穂大石神社に移築、赤穂霊舎として鎮祭す[歴史]。
昭和26 1951 昭和 吉田 茂
昭和27 1952 昭和 吉田 茂 ☆4.12 赤穂大石神社に於いて鎮座50年祭・義士自刃250年大祭を執行。記念事業として義士木像・浅野長矩木像・萱野三平木像製作並びに赤穂城大手隅櫓復元を企画・着手す[歴史]。
☆11 東京国立博物館に於いて館長浅野長武氏・朝倉文夫立ち会いのもと平櫛田中以下彫刻家が参集。義士尊像製作発表を行う[歴史]。
☆是歳 豊岡義士会、再設立。赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、神社本庁より表彰を受ける[歴史]。
昭和28 1953 昭和 吉田 茂 ☆2.4 東京泉岳寺小坂準爾師、北海道泉学寺に「泉岳寺」の称号使用を許可す。これにより泉学寺は「北泉岳寺」と号す。
☆是歳 赤穂城跡大手隅櫓・高麗門復元される[新義62]。北海道北泉岳寺赤穂義士墓建立開始。
☆12.14 大阪吉祥寺壇信徒により大阪義士会が結成される。
☆是歳 赤穂大石神社、赤穂義士自刃250年を記念して義士木像を作らしむ。赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、神社本庁評議員当選並びに同評議員会副議長に就任す[歴史]。
昭和29 1954 昭和 吉田 茂
鳩山一郎
☆11 東京大丸に於いて浅野長矩を除く48体の木像を展示す[歴史]。
☆12.14 大阪吉祥寺に大阪義士会が設立される。
☆12 大阪大丸於いて浅野長矩を除く48体の木像を展示す[歴史]。
☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、神社本庁より浄階位を授けられ、神職身分一級に昇進す[歴史]。
昭和30 1955 昭和 鳩山一郎 ☆5 赤穂大石神社、義士尊像竣工奉告祭を行い、一部を大手隅櫓並びに木像館に展示す[歴史]。
☆是歳 赤穂大石神社に義士木像奉安殿建設。これによって義士尊像を展示す[新義33・全義6・歴史]。赤穂城跡大手高麗門復元に伴い、「忠魂義膽」大〆柱(東郷平八郎揮毫)を高麗門後方に移す[新義60]。
昭和31 1956 昭和 鳩山一郎
石橋湛山
☆2 赤穂城復興並びに義士尊像奉献奉賛会、、建設終了の赤穂城大手門隅櫓・赤穂城大手城壁・赤穂城大手高麗門・隅櫓内陳列棚等一切を赤穂市長並びに市議会長宛に寄附採納を申し出る[歴史]。
☆7.14 北海道北泉岳寺の赤穂義士墓開眼入魂式執行される。
☆10.11 浅野本家嫡男長愛氏の長男長孝氏誕生[旧華族]。
昭和32 1957 昭和 石橋湛山
岸 信介
☆是歳 大阪義士会趣意書が出来る。
昭和33 1958 昭和 岸 信介 ☆3.20 細川邸址保存工事地鎮祭を執り行う。
☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司長男精氏、明治神宮禰宜に任ぜられ、神職身分も二級となる[歴史]。
昭和34 1959 昭和 岸 信介 ☆5 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、神社本庁監事に就任す[歴史]。
昭和35 1960 昭和 岸 信介
池田勇人
☆5 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、兵庫県宗教教誨師会会長に就任[歴史]。
☆是歳 赤穂市の斡旋により赤穂花岳寺へ赤穂義士家族墓5基を移転す[赤3]。
昭和36 1961 昭和 池田勇人 ☆2 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、兵庫県神社庁庁長に当選就任[歴史]。
☆5 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、全国宗教教誨師連盟理事に就任す[歴史]。
☆是歳 第一銀行出身の都筑孝三氏、山科岩屋寺に寄寓す。
昭和37 1962 昭和 池田勇人 ☆4 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司の勤続奉仕50年・古稀・神社本庁表彰の祝賀会を大石神社儀式殿にて開催す[歴史]。
☆10.20 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司病のため長男で明治神宮禰宜の精氏が大石神社禰宜を兼任。宮司の職務を代行す[歴史]。
☆11.2 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司死去す[歴史]。
☆12.14 赤穂大石神社飯尾精禰宜、大石神社宮司に任ぜられ、併せて赤穂御崎伊和都比売神社・大津八幡神社宮司兼任及び明治神宮禰宜をも兼務す[歴史]。
☆12 赤穂大石神社故飯尾巌夫宮司著『大石神社鎮座五十年記念誌』が出版される[歴史]。
昭和38 1963 昭和 池田勇人 ☆4.1 赤穂大石神社飯尾精宮司、明治神宮禰宜を免ぜられる[歴史]。
☆12.11 東北大学附属図書館会議室に於いて「赤穂義士に関する古書展」が開催される(翌日まで)。
☆12.28 画家で赤穂義士研究家の長安雅山氏、東京杉並区の自宅で死去(89歳)[赤16]。
☆是歳 赤穂大石神社宮司職舎、改新築[新義60]。
昭和39 1964 昭和 池田勇人
佐藤栄作
☆1.5 NHK大河ドラマ「赤穂浪士」放送開始。
☆12.27 NHK大河ドラマ「赤穂浪士」放送終了。
昭和40 1965 昭和 佐藤栄作 ☆6.4 赤穂義士会会報『赤穂義士会報』発刊。
☆是歳 赤穂義士会、『新赤穂義士史料』(仮題、以下『新義士史料』と略称)編纂を計画す[赤1]。
昭和41 1966 昭和 佐藤栄作 ☆7.1 赤穂大石神社、神社本庁別表神社(旧官国幣社)に加列[歴史]。
☆2.13 赤穂浅野家先代故浅野長和氏未亡人ぶん氏死去(85歳)、法名長照院文室妙圓。大姉。泉岳寺に葬られる[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]。
☆12.30 赤穂義士会会長桃井健三氏、肝臓障害のため死去(77歳)[赤2]。
昭和42 1967 昭和 佐藤栄作 ☆1.10 赤穂義士会会長故桃井健三氏の本葬が赤穂小学校講堂にて行われる[赤2]。
☆4 赤穂大石神社飯尾精宮司、兵庫県飾磨郡夢前町賀野神社禰宜を兼務す[歴史]。
☆7.1 東京大学史料編纂所、浅野長武氏所蔵の「済美録」を撮影す。
☆7.24 赤穂観光協会会長西川蕃夫氏、赤穂義士会会長に就任[赤2]。午後1時、赤穂花岳寺に於いて浅野長直公命日法要執行[赤2]。
☆8.30 未明、義士研究家平尾孤城氏(赤穂義士会理事長)、岡山医大病院で死去(66歳)(66歳)[赤2]。
☆8 赤穂大石神社飯尾精宮司、赤穂市内福浦鎮座八幡宮宮司を兼務す[歴史]。
☆9.1 平尾孤城氏の神葬、赤穂市新田の自宅にて行われる[赤2]。
☆10.23 赤穂義士会『新義士史料』編集部会開かれる[赤2]。
☆11 弘前大石家大石良郷氏未亡人リン氏より大石神社に「弘前大石家史料」が奉納される[歴史]。
☆是歳 赤穂大石神社儀式殿開設に当たり、大石邸長屋門内部を畳敷に改造し、嫁方控室兼美容室とす[新義6]。
昭和43 1968 昭和 佐藤栄作 ☆9.13 赤穂義士会常任理事会にて東本願寺別院妙慶寺再建につき境内にある近藤正純夫妻墓所(もと黒谷にあり)移転を議す[赤3]。
☆9.24 赤穂義士会常任理事会にて近藤正純夫妻墓所、赤穂花岳寺へ移転と決定す[赤3]。
昭和44 1969 昭和 佐藤栄作 ☆1.3 浅野本家当主長武氏死去[旧華族]。
☆7.10 赤穂義士会総会にて西川蕃夫会長後任に小幡栄亮赤穂市長が選出される[赤5]。
☆7.20 赤穂大石神社義芳門屋根を銅板葺に葺き替え竣工す[歴史]。
☆7 浅野長直・長友・長矩の御霊を赤穂大石神社摂社浅山神社から大石神社に遷霊合祀する[歴史]。
☆9.24 赤穂市民会館に於いて前立命館大学教授林屋辰三郎氏講演「歴史と義士」が開催される[赤5]。
☆12.19 近藤正純夫妻墓所移転法要、赤穂花岳寺にて行われる[赤4]。
☆12 西宮市藤井音次郎氏寄贈の義士木像(木彫両国橋打揚の図)、赤穂大石神社に保管される[赤5]。
☆是歳 赤穂義士会事務所を赤穂市役所に移す。
昭和45 1970 昭和 佐藤栄作 ☆4.9 赤穂大石神社、旧龍野藩主脇坂家伝来の「赤穂城請取文書」を購入す[歴史]。
☆4.15 赤穂義士会『新義士史料』編集委員会開かれる[赤5]。
☆7.3 赤穂義士会『新義士史料』編集委員会開かれる[赤5]。
☆7.9 赤穂義士会『新義士史料』編集委員会開かれる[赤5]。
☆7.21 赤穂義士会『新義士史料』編集委員会、「奥藤家文書」を調査す[赤5]。
☆9.17 赤穂義士会『新義士史料』編集委員会、京都「斎藤家文書」(綿屋文書)を調査す[赤5]。
☆12.8 赤穂中学校に於いて東京大学史料編纂所所員松島栄一氏講演「忠臣蔵の見方・考え方」が開催される[赤6]。
☆12.28 林太郎氏、「早水家文書」を入手する。
昭和46 1971 昭和 佐藤栄作 ☆3 文部省告示により赤穂城跡全体が史跡に指定される〔歴史〕。
☆6.18 赤穂義士会、冊子『義士と教育』を発行[赤6]。
☆11.24 赤穂義士会『新義士史料』編集委員会、「斎藤家文書」(綿屋文書)の解読を委嘱す[赤7]。
☆12.14 赤穂大石神社境内に大石内蔵助良雄銅像建立[新義1]。
昭和47 1972 昭和 佐藤栄作
田中角栄
☆2 赤穂義士会、『赤穂義士事典』刊行協力[赤7]。
☆4.22 義士講演会(立命館大学教授衣笠安喜氏)開催[赤7]。
☆5.25 赤穂義士会、『赤穂義士事典』刊行等の功績で義士研究家内海定治郎氏に感謝状と記念品を贈呈す[赤8]。
☆7.12 赤穂義士会『新義士史料』編集委員会、萱野三平家文書を調査・撮影す[赤8]。
☆12.14 赤穂大石神社・花岳寺にて追慕会行われる[赤8]。
昭和48 1973 昭和 田中角栄 ☆2.14 茨城県笠間市内の有志及び笠間出身の在京有志によって笠間義士会が再興される。
☆是歳 広島国泰寺、広島市郊外に移転決まる[新義7]。
昭和49 1974 昭和 田中角栄
三木武夫
☆4.1 大阪に赤穂義士奉賛会が設立される。
☆6.16 笠間義士会62名、親善のため赤穂来訪[赤9]。
☆11.30 赤穂義士会『新義士史料』編集委員会、「弘前大石家史料」を調査す[赤9]。
☆是歳 赤穂大石神社宮司職舎、新築される[新義60]。
昭和50 1975 昭和 三木武夫 ☆1.5 NHK大河ドラマ「元禄太平記」放送開始。
☆4.13 赤穂市民会館大ホールに於いて南條範夫氏(小説家、NHK「元禄太平記」原作者)講演「元禄太平記をめぐって」が開催される[赤10]。
☆5.24 山梨県塩山市恵林寺信玄公宝物館に於いて特別展「柳沢吉保と元禄文化」開催(〜7/28)。
☆8 浅野本家当主浅野長愛氏、広島市立中央図書館に所蔵の史料1400点余を寄託す[浅野家寄託史料目録]。
☆9.26 赤穂大石神社摂社山鹿神社前に於いて山鹿素行290年祭を執行。その後赤穂城跡二の丸跡素行銅像前にても執行される[赤10]。
☆秋 兵庫県神社庁の庁舎(旧湊川神社宝物殿)を赤穂大石神社宝物殿の建物として使用すべく解体[新義1]。
☆10 赤穂大石神社内に赤穂義士顕彰会発足す[新義1]。
☆11.5 赤穂大石神社義士宝物殿地鎮祭[新義1]。
☆12.28 NHK大河ドラマ「元禄太平記」放送終了。
昭和51 1976 昭和 三木武夫
福田赳夫
☆3末 赤穂大石神社義士宝物殿竣工[新義1]。
☆4.8 赤穂大石神社義士宝物殿開館[新義1]。
☆10 吹田市西沢稔明氏、所蔵の大石良雄書状(元禄15年3月1日付・地蔵院宛)を赤穂大石神社宮司飯尾精氏に鑑定を依頼す[新義1]。
☆11.13 旧赤穂藩主森家当主森可久氏死去。森家は長男可展氏が相続する[旧華族]。
☆11 赤穂大石神社宮司飯尾精氏・大石家当主大石貞純氏、吹田市西沢稔明氏を訪れ、所蔵の大石良雄書状(元禄15年3月1日付・地蔵院宛)を調査。真筆と判定す[新義1]。
☆12.1 赤穂大石神社、社報『義士魂』を創刊[新義1]。
昭和52 1977 昭和 福田赳夫 ☆1 赤穂市教育委員会より大石神社へ大石邸長屋門の解体復元工事を昭和52・53年度文化庁国庫補助事業として行う旨の内報あり[新義2]。
☆4 神戸山野井茂雄氏より赤穂大石神社へ奉納の浅野長矩水差(大石良雄拝領、十世藪内翠紹智宗匠箱書)・大高子葉筆俳画(去年の似たを買いけり福寿草)・正光作黄銅製「大石良雄討入姿像」、同社義士宝物殿に於いて展示[新義3]。
☆6.9 広島国泰寺移転につき大石家墓地移転のため、大石良雄室香林院(理玖)墓所発掘移設される。国泰寺住職・浅野家広島事務所・郷土史研究団体「えいしんサークル」(代表中尾栄一氏)立ち会い。香林院の骨壺現る[新義7]。
☆10.21 赤穂市と大石神社の間で「史跡大石良雄宅阯長屋門修理復旧事業の実施に係る協議決定書並に同細目協議書」が取り交わされる[新義5]。
☆11.1 大石邸長屋門修理請負業者入札。株式会社小西工務店が落札す[新義5]。
☆11.3 赤穂義士顕彰会の河野謙三総裁(前参議院議長)、叙勲す[新義5]。
☆11.4 大石良雄宅跡長屋門、解体修理始まる[赤12]。
☆11.8 赤穂義士顕彰会河野総裁、皇居宮殿松の間に於いて昭和天皇より勲一等旭日桐花大綬賞を授章す[新義5]。
☆11.30 赤穂大石邸長屋門修理着工の奉告祭が行われる[新義5]。
☆12 赤穂大石邸長屋門、解体に着手[新義5]。
昭和53 1978 昭和 福田赳夫
大平正芳
☆1 赤穂大石邸長屋門礎石発掘[新義6]。
☆3 広島浅野家菩提寺国泰寺、広島市西区己斐上に移転す[中義27]。
☆4.28 午前10時、赤穂大石神社に於いて大石邸長屋門復元工事地鎮祭執行す[新義7]。
☆5.8 大石邸長屋門に廊下続きで付属の茶室、大石神社儀式殿南庭まで移築り地鎮祭及び曳舞工事行われる[新義7]。旧赤穂藩庁玄関は儀式殿の一部に移築再建す[新義7]。
☆6.12 大石邸長屋門復元工事上棟祭、執行される[新義8]。
☆6.27 日本数学史学会桑原秀夫氏等一行6名、赤穂大石神社を参拝。飯尾精宮司に福島県佐藤弥吉氏所蔵の[義士忠臣録」(五巻)の解読を依頼す[新義8]。
☆7.11 赤穂大石神社飯尾精宮司、「弘前大石家史料」文書解読整理につき打合せのため上京し、素行会佐佐木杜太郎氏を訪問す[新義8]。
☆7.18 数学史学会桑原秀夫氏等、赤穂大石神社参拝。大津八幡神社奉掲の算額絵馬についての調査結果を報告す(算額絵馬としては最古のものと判明)[新義8]。
☆7.27 福岡県在住礒貝十郎左衛門正久末裔礒谷次郎氏夫妻、赤穂大石神社に参拝[新義8]。
☆8.3 東映京都撮影所美術部担当者、赤穂大石神社来社。映画「赤穂城断絶」に関する資料調査を行う[新義8]。
☆9.6 赤穂市長・赤穂大石神社飯尾精宮司等、東映映画「赤穂城断絶」撮影見学。深作欣二監督・主演萬屋錦之介・スタッフ等を激励す[新義9]。
☆9.19 国立劇場事業部宣伝課森田拾史郎氏、赤穂大石神社来社。11月公演「元禄忠臣蔵」(真山青作)の資料取材[新義9]。
☆9.21 赤穂大石神社常務総代会開催。大石邸長屋門復元につき協議す[新義9]。
☆9.22 赤穂大石神社義士顕彰会の事務局長に村上直吉氏が就任[新義9]。
☆10.4 赤穂大石神社飯尾精宮司、東京よりの帰途、神戸山野井信雄氏を訪問。長安雅山画「義士討入の図」寄贈に関し懇談す[新義9]。
☆10.21 大石家当主大石貞純氏・赤穂大石神社飯尾精宮司、東映映画「赤穂城断絶」封切試写会に出席す[新義9]。
☆10.25 赤穂大石神社飯尾精宮司、宝塚市仁川武藤誠氏を訪問。武藤氏より奉納の大石内蔵助佩刀を受領す[新義9]。
☆10.27 NHK教養部中沢俊明氏、赤穂大石神社を訪問。12月7・14・21放送予定の「歴史への招待」赤穂義士特集に関し資料探訪。飯尾宮司と懇談す[新義9]。
☆11.1 大石邸長屋門復元工事細部検査[新義9]。古庭園研究家津村秀夫氏、赤穂大石神社来社。大石邸址修復整備について現地調査を行い、修復図面作成に関し打合せ[新義9]。NHK「歴史への招待」担当者西田礼一郎氏、赤穂大石神社来社。寺坂吉右衛門信行の事績につき取材[新義9]。
☆11.7 赤穂大石神社飯尾精宮司、旧赤穂藩主家当主(子爵)森可久氏三回忌法要に参列す[新義9]。
☆11.17 矢頭右衛門七木像(赤穂大石神社義士木像殿安置)制作者安西順一氏夫妻、赤穂大石神社参拝[新義9]。
☆11.19 赤穂浅野家しず氏死去(77歳)、法名普照院霜屋喜観大姉。泉岳寺に葬られる[泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘]
☆11.26 素行会理事佐佐木杜太郎氏、赤穂大石神社参拝。歴史研究会にて講演ののち社蔵の「弘前大石家史料」の整理及び史料刊行の打合せ[新義9]。
☆12.1 赤穂大石神社宝物殿に於いて武藤誠氏奉納の「大石内蔵助佩刀の太刀拵」・「大高源五・神崎与五郎真筆書状」などを展示[新義9]。 
☆是歳 赤穂大石神社飯尾精宮司、神職身分一級となる[歴史]。
昭和54 1979 昭和 大平正芳 ☆1.17 大石邸址庭園瓢箪池泥土浚渫工事始まる[新義10]。
☆1.21 大石邸址庭園修復工事技術顧問津村秀夫氏、赤穂大石神社来社。池泉泥土に護岸崩壊状態等を視察[新義10]。大石家当主大石貞純氏死去、法名大雄院貞嶽良純居士[貞純氏未亡人道子氏御教示]。
☆1.23 赤穂大石神社飯尾精宮司、大石家当主大石貞純氏葬儀参列のため奈良へ出向く[新義10]。
☆1.25 大谷建設株式会社緑化部長谷口忠義氏等関係者、大石邸址庭園修復工事打合せのため赤穂大石神社来社[新義10]。
☆1.29 赤穂大石神社飯尾精宮司、「弘前大石家史料」整理・出版に関し佐佐木杜太郎氏と打合せのため上京す[新義10]。
☆2.4 津村秀夫氏、赤穂大石神社来社。池泉護岸崩壊箇所修復等について協議す[新義10]。
☆2.24 赤穂大石神社飯尾精宮司、宍粟郡山崎町老人大学に於いて「義士の自刃」について講演[新義10]。
☆2.26 上京中の赤穂大石神社飯尾精宮司、茨城県笠間稲荷神社に参拝。大石邸址庭園修復工事使用石材の件につき笠間稲荷神社塙瑞比古宮司に斡旋を依頼す[新義10]。
☆4.8 津村秀夫氏、大石邸址庭園修復打合せのため赤穂大石神社来社[新義11]。
☆4.10 赤穂大石神社飯尾精宮司、大石神社義士史料第1輯『大石家外戚枝葉伝』刊行打合せのため校訂者佐佐木杜太郎氏とともに東京新人物往来社を訪問す[新義11]。
☆4.12 故大石貞純氏未亡人道子氏、赤穂大石神社参拝。赤穂義士顕彰会に名誉会員として入会す[新義11]。
☆5.28 先にヘドロ浚渫の大石邸址庭園瓢箪池残土浚渫作業始まる[新義11]。
☆6.6 津村秀夫氏、赤穂大石神社来社。大石邸址庭園修復につき打合せ[新義11]。
☆6.14 大石邸址庭園修復整備事業の奉告祭。庭園にて起工式を執行す[新義11]。
☆6.21 赤穂大石神社飯尾精宮司、『大石外戚枝葉伝』出版打合せのため東京新人物往来社を訪問す[新義12]。
☆6.25 大石邸址庭園修復護岸工事に着手す[新義12]。
☆7.14 日本庭園研究会会長古河功・津村秀夫両氏、赤穂大石神社来社。庭園修復工事を指導[新義12]。
☆7.16 赤穂大石神社飯尾精宮司、架橋石材奉献依頼のため津村秀夫氏と同道して茨城県笠間市へ出張す[新義12]。
☆7.23 赤穂義士顕彰会副会長砂野仁氏葬儀につき赤穂大石神社飯尾義明禰宜、上神会葬す[新義12]。
☆8.2 文化庁長官より赤穂大石神社へ文化財保護法による大石邸址庭園現状変更の許可書届く[新義12]。
☆8.26 大石邸長屋門火災報知機取付工事終了につき赤穂市建設課・赤穂市教育委員会係員・赤穂大石神社飯尾精宮司以下、立会検査[新義12]。
☆9.7 赤穂義士会により大石邸長屋門並びに源八長屋前に説明版設置[新義12]。
☆9.13 兵庫県教育委員会堀係長及び県監査委員ら4名、赤穂大石神社来社。復元完成の大石邸長屋門を視察す[新義12]。
☆9.26 赤穂大石神社総代協議員、大石邸址庭園修復工事視察ののち、合同協議会を開催[新義12]。
☆9月末 「弘前大石家史料」奉納者で末裔の大石リン氏(大石良郷氏未亡人)死去す[新義13]。
☆10.1 大石神社義士史料第1輯『大石家外戚枝葉伝』上梓奉告祭[新義13]。
☆10.3 赤穂大石神社飯尾精宮司、大石リン氏葬儀参列のため青森市へ出向す[新義13]。
☆10.5 赤穂花岳寺住職片山伯仙師隠退並後任住職片山一良(牧仙)和尚普山式[新義13]。
☆10.25 赤穂大石神社飯尾精宮司、太陽鉱工株式会社赤穂工場ご視察の高松宮殿下に『大石家外戚枝葉伝』を献上[新義13]。
☆11.5 大石邸址庭園周囲柵工事着手[新義13]。
☆11.13 赤穂大石神社内大石稲荷旧社地移転地鎮祭・大石稲荷社並赤穂霊社仮殿遷座祭[新義13]。
☆11.19 赤穂大石神社義士木像奉安殿入口工事着手[新義13]。
☆11.23 NHK「兵庫史を歩く」の会員200名参拝、儀式殿に於いて昼食。飯尾精宮司並に春木一夫氏より義士に関する講話あり[新義13]。
☆12.2 赤穂霊社屋根替工事着手[新義13]。
☆12.7 赤穂大石神社義士木像奉安殿入口改装終了。内部陳列替え並びに防犯ベル取付[新義13]。日本放送出版協会NHKブックス編集部次長田口汎氏、赤穂大石神社来社。飯尾精宮司へ『歴史への招待』第5集に寺坂吉右衛門論についての執筆依頼をし、且つ史料を撮影す[新義13]。
☆12.11 修復ほぼ終了の大石邸址庭園、一般公開に先立ち報道関係者に公開。津村秀夫氏園内の説明を行う[新義13]。
☆12.12 14日放送予定のNHKテレビ「忠臣蔵異聞」で赤穂大石神社飯尾精宮司、神戸放送局へ出向き、吉良華蔵寺住職黒柳建英氏と対談す[新義13]。
☆12.13 赤穂大石神社内大石稲荷社並赤穂霊社本殿竣工清祓・祈願祭に続いて遷座祭を執行す[新義13]。
☆12.14 義士追慕278年祭にて大石良雄末裔大石貞純氏未亡人道子氏、赤穂大石神社に参拝[新義13]。
☆12.22 笠間義士会会長で笠間稲荷神社塙瑞比古宮司の喜寿祝賀会開催。赤穂大石神社飯尾精宮司も出席す[新義13]。
☆是歳 大石家の一族で常陸笠間出身の大石輝己氏、山科義士会を京都義士会として再出発させる。
昭和55 1980 昭和 大平正芳
伊東正義(臨時)
鈴木善幸
☆1.8 赤穂城本丸隅櫓台桝形石積み解体復元工事地鎮祭執行される[新義13]。
☆2.4 備前吉永町花岡篤実氏より赤穂大石神社へ奉献の石燈籠、大石邸址庭園の旧地に据付る[新義13]。
☆2.9 大石邸長屋門南北の土塀修理工事着手[新義13]。
☆3.14 大石邸長屋門復元並に史蹟大石良雄邸庭園修復工事竣工奉告祭執行[新義14]。
☆6 福島県会津坂下町貴徳寺に堀部安兵衛の生誕の地碑建つ[中義7]。
☆10.29 義士研究家内海定治郎氏死去(86歳)[新義17]。
☆是歳 赤穂大石神社宮司職舎、一部改築[新義60]。
昭和56 1981 昭和 鈴木善幸 ☆4.11 義士冨森助右衛門正因の後裔冨森太郎氏死去。
☆7.2 NHK大河ドラマ「峠の群像」原作者堺屋太一氏夫妻・小林猛プロデューサー他スタッフ一行、赤穂大石神社に参拝。のち飯尾精宮司と史実について懇談及び現地取材[新義16]。
☆9 兵庫県立赤穂高等学校、赤穂城本丸跡から赤穂市東浜塩田跡地に移転す[赤60]。
☆12.3 赤穂市農協会館4階大ホールに於いて「赤穂義士を語るシンポジウム」開催。講師西山松之助氏(成城大学教授)・真山美保(劇作家、真山青果長女)・松本幸四郎(歌舞伎役者)・堺屋太一(小説家)[赤19]。
☆12.5 泉岳寺書院・庫裡再建落慶式行わる。
☆12.14 日本消防会館(旧仙石邸跡)新築による義士足洗井戸の改造序幕入魂式が行われる。
昭和57 1982 昭和 鈴木善幸
中曽根康弘
☆1.10 NHK大河ドラマ「峠の群像」放送開始(監修は宮本又次・脇田修・中央義士会斎藤茂)。以後、赤穂大石神社飯尾精宮司・義士研究家佐佐木杜太郎氏等によって批判が行われる。
☆9.26 東京牛込宗参寺に於いて山鹿素行298年忌祭典が行われ、素行会佐佐木杜太郎氏講演「山鹿素行先生と乃木大将」が開催される。
☆10.17 茨城県笠間市佐白山頂本丸跡に於いて笠間義士会10周年記念祝典が行わる。福島県会津若松市に於いて素行会はじめ各種団体主催の素行先生生誕360年記念碑前祭が行われる。
☆12.12 赤穂市農協会館4階大ホールに於いて大阪大学助教授脇田修氏(NHK「峠の群像」監修者)講演「元禄の時代を斬る!!」開催[赤21]。
☆12.19 NHK大河ドラマ「峠の群像」放送終了。
☆是歳 中央義士会、創立50周年を記念して『赤穂義士史料』の改訂増補版刊行を企画する[中義10]。兵庫県立赤穂高校の建物、赤穂城本丸跡から撤去される[全義5]。
昭和58 1983 昭和 中曽根康弘 ☆7.14 赤穂義士会総会にて赤穂花岳寺宝物館建設事業の見直しを議す[赤22]。
☆9.19 赤穂義士会総会にい赤穂花岳寺宝物館建設事業を白紙に戻す[赤22]。
☆12.10 義士研究家佐佐木杜太郎、東京中野の自宅にて急逝(77歳)、法名壽心院釋恵光居士[佐佐木杜太郎七回忌記念誌]。赤穂義士会、大高源五宅跡・不破数右衛門宅跡・矢頭右衛門七宅跡・貝賀弥左衛門宅跡に説明版を設置する[赤24]。
☆是歳 赤穂城跡本丸発掘調査を開始。予備調査としてトレンチを行う[全義5]。
昭和59 1984 昭和 中曽根康弘 ☆1.10 赤穂義士会、「仮名手本忠臣蔵観る会」(於国立文楽劇場)を開催[赤26]。
☆2.20 赤穂義士会、早水藤左衛門宅跡の石柱を移転す[赤24]。
☆3.30 赤穂義士会、岡野金右衛門宅跡に説明版を設置し、間瀬久太夫宅跡説明版を修理す[赤26]。
☆7.2 赤穂城本丸跡発掘[赤24]。
☆7.15 義士近松勘六行重子孫の近松忠雄氏死去。
☆9.9 赤穂義士会、前赤穂義士会会長小幡栄亮氏(前赤穂市長)市葬に参列[赤26]。
☆9.26 東京牛込宗参寺に於いて山鹿素行三百回忌が執行される。
☆10.18 義士大高源五忠雄の子孫で義士研究家の斎藤半蔵氏死去。
☆12.12 義士大石瀬左衛門信清の後裔大石良二氏死去。
☆是歳 兵庫県立赤穂高校移転。赤穂城跡本丸大池泉の全体と奥御殿の坪庭の池が検出される。赤穂城本丸跡天守台修復完成。
昭和60 1985 昭和 中曽根康弘 ☆9.26 山鹿素行先生没後三百年祭のため、赤穂大石神社内山鹿神社にて満三百年御命日祭執行。のち、隠山(素行)先生銅像前にて追慕顕彰祭執行す[新義28]。東京明治神宮にて山鹿素行大人命顕彰祭が行われる[新義28]。
☆9.28 明治神宮参集殿にて山鹿素行大人命顕彰三百年祭執行す[中義16・全義4]。
☆10.1 福本日南子孫の福本栄氏死去。
☆是歳 赤穂城本丸跡調査。池泉部を中心とする本丸南半分を発掘する。赤穂城跡本丸大池泉の復元工事始まる。
昭和61 1986 昭和 中曽根康弘 ☆3.31 赤穂義士会、間喜兵衛宅跡説明版を設置[赤28]。
☆4 山科大石神社宮司に進藤秀保氏が就任す。山科義士会役員総代集まり、祇園一力亭の杉浦治郎右衛門氏を会長に昭和6年設立の山科義士会を受け継ぎ、「京都山科義士会」として出発する。
☆7.11 赤穂浅野家当主浅野長楽氏没(83歳)、法名淨空院長山樂邦居士、泉岳寺に葬られる。嗣子なきにつき赤穂浅野家断絶す[泉岳寺浅野家墓碑]。
☆7.31 赤穂大石神社義士木像奉安殿造替工事地鎮祭執行す[新義33]。
☆7 財団法人赤穂市文化振興財団発足す[全義6]。
☆8.1 前福岡義士会会長木原清氏死去。
☆8.17 実践女子大学教授で素行会講師の新田大作氏死去。
☆8 この月より赤穂城本丸跡池泉工事始まる[赤29]。
☆9.28 岩手県一関市の田村家菩提寺祥雲寺壇信徒一行28名、赤穂大石神社参拝[新義31]。
☆10.2 赤穂大石神社義士木像奉安殿上棟祭[新義34]。
☆11.18 赤穂大石神社義士木像奉安殿奉告祭・開館式[新義34]。
☆12.13 赤穂市農協4階大ホールに於いて「シンポジウム赤穂義士の真価と魅力を探る」開催。講演→田原嗣郎氏(北海道大学文学部教授)「赤穂事件論争−幕藩制の中の赤穂事件」・西山松之助氏(東京教育大学名誉教授)「仮名手本忠臣蔵の魅力」[赤29]。

☆是歳 赤穂大石神社総代桃井一男氏(赤穂商工会議所会頭)寄託の「大石良雄書状」(元禄15年3月9日付・石束源五兵衛毎好宛)、大石神社義士宝物殿にて一般公開される[新義31]。赤穂大石神社義士木像奉安殿入口増設部分予定地、赤穂市教育委員会より発掘が行われる[新義33]。
昭和62 1987 昭和 中曽根康弘
竹下 登
☆1.22 宗偏(本当は行人偏)流十世家元山田宗偏宗匠死去(本当は行人偏・78歳)。
☆3.15 笠間稲荷神社宮司で笠間義士会会長の塙瑞比古氏死去す(85歳)。
☆3.19 近親者にて間稲荷神社宮司で笠間義士会会長の塙瑞比古氏の密葬が行われる。
☆3.28 笠間市民体育館に於いて塙瑞比古氏の神社葬が行われる。
☆3.30 赤穂義士会、早水藤左衛門宅跡説明版を設置し、矢頭右衛門七宅跡説明版を移設、礒貝十郎左衛門宅跡説明版を修理す[赤30]。
☆夏〜 赤穂大石神社、文化庁より史蹟現状変更の許可を得て新木像奉安殿工事[全義6]。
☆11中旬 赤穂大石神社の義士木像奉安殿完成す。
☆12.1 赤穂市役所1階展示ホールにて「拓本による元禄事件の舞台−碑にみる義士の跡−」及び「赤穂義士資料展」開催(〜12/14まで)[赤31]。
☆12.14 整備中の赤穂城跡本丸一般公開[赤31]。
☆是歳 赤穂市加里屋越智正氏、所蔵の「大石りく書状」・「大野九郎兵衛書状」等を赤穂市に寄贈す[赤31]。
昭和63 1988 昭和 竹下 登 ☆1.11 赤穂花岳寺前住職で義士研究家の片山伯仙和尚遷化す。
☆3.31 赤穂義士会、勝田新左衛門宅跡説明版を設置[赤32]。
☆7 「大石内蔵助」名の木簡、赤穂城跡本丸で発掘される[赤32]。
☆7.10 赤穂城跡本丸にて発掘説明会が行われる[赤32]。
☆11.9 明治神宮社務所に於いて素行会講演・國學院大学森田教授「中朝事実神器章」開催。
☆12.10 赤穂市立歴史博物館に於いて「忠臣蔵錦絵展」が開催される(〜12/14まで)[赤33]。
☆12.14 整備中の赤穂城跡本丸一般公開[赤33]。
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