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赤穂事件関係年譜 5
【赤穂事件年譜 1】
−元禄14年辛巳.1701−  天皇 東山天皇    将軍 徳川綱吉
更新 2005/4/6

《年譜》元禄14年辛巳(1701)
月 日事 項

《6月》

6.6 ☆三次隠居浅野長照・長矩従兄弟戸田氏定(大垣城主)遠慮御免[冷光3]。
☆赤穂分家浅野長恒、御役御免[冷光3]。
6.12 ☆原 元辰、堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛へ5月19日付書状(大石良雄・奥野定良・吉田兼亮・河村伝兵衛・進藤俊式原 元辰、小山良師宛)に対して、良雄腫物により下向不可と武庸上京無用の旨を報ず。また、良雄、原 元辰を江戸へ下向させる旨も知らせる[武庸]。
6.18 ☆堀部武庸、小山良師へ大石良雄等の江戸下向なく、不快の旨を報ず[武庸]。
6.19 ☆堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛、大石良雄へ江戸下向を促す[武庸]。
6.21 ☆堀部金丸、高山内匠に近況ならびに堀部武庸の動静を伝える[義士63]。
6.24 ☆芝泉岳寺にて冷光院殿(浅野長矩)百箇日法要。堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛三士も参会・拝礼す[武庸]。
☆堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛、元浅野家江戸家老安井彦右衛門を訪ね、復讐の意を述べ且つ覚悟を促すも安井、浅野長廣の安否次第と返答す[武庸]。
是頃 ☆元江戸家老安井彦右衛門、礒貝正久・松本新五左衛門に堀部武庸・奥田重盛・高田郡兵衛の企て不了簡と述べる。堀部武庸、礒貝よりこれを聞き安井との音信を絶つ[武庸]。
6.25 ☆関 新兵衛、吉川茂兵衛書状を堀部武庸の許へ持参す[義士64]。
6.26 ☆長矩従兄弟戸田氏定・同弾正・安部丹波守信峯・同小十郎信方、御目見遠慮御免[冷光3]。

《7月》

7.3 ☆堀部武庸の許へ6月19日付書状の返書6月12日付大石良雄書状到来す[武庸]。
7.8 ☆奥田重盛・堀部武庸・高田郡兵衛、大石良雄へ疔の見舞及び、上京の上面談希望の旨を申し入れる(6月12日付良雄書状への返書)[武庸]。
7.13 ☆大石良雄、高田郡兵衛・堀部武庸・奥田重盛へ江戸と国元の者の考えの相違、浅野長廣の安否を見届けたき旨を返答す(5月19日付書状の返書)[武庸]。
7.22 ☆大石良雄、在江戸の遠林寺祐海に浅野家再興と吉良義央の処分運動を督促す[佐藤誠所蔵文書]。
☆大石良雄、高田郡兵衛・堀部武庸・奥田重盛へ浅野長廣の安否の先決と上京せずに自重するよう促す(7月8日付書状の返書)[武庸]。

《8月》

8.8 ☆堀部武庸、大石良雄へ良雄の了簡に従う覚悟であると述べると共に自分は元々復讐派であることを報ず(7月22日付書状の返書)[武庸]。
8.13 ☆高山内匠・牛之助、堀部金丸に近況を尋ねる[義士74]。
8.14 ☆奥田重盛・堀部武庸・高田郡兵衛宛の大石良雄書状(7月13日付)、武庸の許へ到来す[武庸]。
8.19 ☆吉良義央、呉服橋の屋敷を召し上げられ新たに本所の松平登之助信望の屋敷を拝領す[元禄年録、冷光附]。
☆奥田重盛・堀部武庸・高田郡兵衛、大石良雄へ浅野長廣が100万石を貰っても人前が立たない旨を報ず(7月13日付書状の返書)[武庸]。
8.28 ☆林加兵衛、堀部金丸へ高山内匠・牛之助の書状を持参す[義士74]。

《9月》

9.2 ☆堀部金丸、高山内匠・牛之助に一家の近況を報ず[義士74]。
9.7 ☆堀部武庸、入江左門・川勝敬内に旧浅野家中の混乱、主人運命の拙きことを報ず[義士75]。
9.15 ☆高山内匠、堀部武庸へ書状を書く[義士88]。
9.21 ☆大石良雄、松平(浅野)綱長へ長矩弟長廣閉門御免と「人前立奉公」願の書付を再度差出す[冷光3]。
9.29 ☆8月19日付の大石良雄書状、堀部武庸の許へ到来す[武庸]。

《10月》

10.4 ☆高山内匠、奥田重盛へ書状を書く[義士89]。
10.5 ☆大石良雄、奥田重盛・堀部武庸・高田郡兵衛へ世間体を気にせず、自重すべき事を促す[武庸]。
10.6 ☆下野皆川藩主米倉長門守昌明、居屋敷を御用につき召し上げられ吉良義央上ヶ屋敷を下さる旨命ぜられる。老中稲葉丹後守正往伝達す[元禄年録]。
10.26 ☆高山内匠、堀部武庸に書状を書く[義士88]。
10.29 ☆奥田重盛・堀部武庸・高田郡兵衛、主君一周忌に討入る神文を示す[武庸]。

《11月》

11.3 ☆大石良雄、江戸着[武庸]。
11.4 ☆飛脚善介、高山内匠書状を堀部武庸の許へ届ける[義士88]。
☆奥田重盛・堀部武庸・高田郡兵衛、大石良雄等と談合す。意が通じたので潮田高教・中村正辰・大高忠雄・武林隆重へも申し含める[武庸]。
是頃 ☆奥田重盛・堀部武庸・高田郡兵衛、大石良雄へ一樽贈る[武庸]。
11.5 ☆林加兵衛、高山内匠の書状を堀部武庸の許に持参す[義士88]。
11.6 ☆堀部武庸、高山内匠書状を奥田重盛の許へ届ける[義士89]。
11.7 ☆堀部武庸、高山内匠に近況を報ず[義士88]。
11.8 ☆大石良雄、高田郡兵衛・堀部武庸・奥田重盛へ酒の礼を述べ、且つ10日に談合したき旨を申し入れる[武庸]。
11.10 ☆昼時前、奥田重盛・堀部武庸・高田郡兵衛、大石良雄の旅宿を訪れ同志達と会議を行う(江戸会議)。討入を来年3月と期限を決める[武庸]。
11.15 ☆高田郡兵衛・堀部武庸・奥田重盛、小山良師へ書状を認める[武庸]。
11.21 ☆奥田重盛・堀部武庸・高田郡兵衛、大石良雄へ暇乞いをす[武庸]。
11.22 ☆大石良雄と同道の進藤俊式・潮田高教・中村正辰・中村清右衛門、先に帰京につき堀部武庸へ暇乞いをす[武庸]。
是月 ☆江戸の同志、大石良雄へ吉良邸討入を促す[冷光附]。

《12月》

12.4 ☆中村正辰・潮田高教、京に着く[武庸]。
12.5 ☆大石良雄、山科着[武庸]。
☆小山良師、高田郡兵衛・堀部武庸・奥田重盛に進藤俊式・潮田高教・中村正辰・中村清右衛門が11月15日の京着と、6日に山科へ行き江戸方の意向を承知した旨を報ず[武庸]。
☆伊藤十郎太夫治興・伊藤惣兵衛、兵法家篠崎太郎兵衛(吉田兼亮)に入門の誓紙を入れる[花岳寺所蔵文書]。
12.9 ☆中村正辰・潮田高教、山科へ行き大石良雄と面談の上、連判神文す[武庸]。
☆潮田高教・大高忠雄、大石良雄と対談す[武庸]。
12.10 ☆潮田高教・中村正辰、高田郡兵衛・堀部武庸・奥田重盛へ京都帰着を報じ、且つ来春御意を得たき旨を述べる[武庸]。
12.11 ☆吉良義央隠居し、家督は養子左兵衛義周(上杉綱憲子・義央孫)が相続する[武庸]。
12.12 ☆江戸城芙蓉の間に於いて、吉良義央、願により隠居を命ぜられる。老中秋元但馬守喬朝伝達す[元禄年録、寛政]。これにより家督は養子左兵衛義周(上杉綱憲子・義央孫)が相続する[寛政]。
12.13 ☆吉良義央、願により隠居し、家督は養子左兵衛義周(上杉綱憲子・義央孫)が相続する[冷光附]。
12.15 ☆原 元辰・大高忠雄、吉良義央隠居を大石良雄へ報ず[武庸]。
12.20 ☆武林隆重、12月10日付の潮田高教・中村正辰書状を奥田重盛・堀部武庸・(高田郡兵衛)へもたらす[武庸]。
12.25 ☆原 元辰、病気の大高忠雄を同道して、江戸出足す[武庸]。
☆大石良雄、高田郡兵衛・堀部武庸・奥田重盛へ吉良義央隠居承知と一挙を大工仕事に例えて自重を促す[武庸]。
☆大石良雄、堀部金丸へ吉良の消息承知を伝え、且つ高田郡兵衛・堀部武庸・奥田重盛への自重説得を依頼す[武庸]。
12.26 ☆堀部武庸、薩摩河岸へ赴き武林隆重・倉橋武幸と参会す[武庸]。
☆勝田武堯、為替金子を下谷へ取りに行く[武庸]。
12.27 ☆奥田重盛・堀部武庸・(高田郡兵衛)、大石良雄へ吉良義央の消息を伝え、且つ正月20日過に出足し面談の旨を伝える[武庸]。
☆堀部武庸・奥田重盛・(高田郡兵衛)、潮田高教・中村正辰・大高忠雄へ吉良義央の消息及び吉良邸の様子を伝え、且つ忠雄の病気を見舞う[武庸]。
☆奥田重盛・堀部武庸・(高田郡兵衛)、原 元辰・大高忠雄へ江戸の様子を伝え、且つ3月中ならば吉良邸討入可能の旨を報ず[武庸]。
是頃 ☆堀部武庸・奥田重盛、高田郡兵衛の除列を大石良雄等上方衆に隠す[武庸]。
是月 ☆岡嶋常樹、赤穂へ赴き妻子の処置をする[武庸]。
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