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赤穂事件関係年譜 10
【赤穂事件補遺年譜 3】
−文政5(1822)〜慶応3(1867)−
更新 2011/9/8

《年譜》
年 号 西 暦 干支天皇将軍 事 項 赤穂 本家
文政51822壬午仁孝家齊 長邦 斉賢
文政6 1823 癸未 仁孝 家齊 長邦 斉賢
文政71824甲申仁孝家齊 長邦 斉賢
文政8 1825 乙酉 仁孝 家齊 長邦 斉賢
文政9 1826 丙戌 仁孝 家齊 長邦 斉賢
文政10 1827 丁亥 仁孝 家齊 長邦 斉賢
文政11 1828 戊子 仁孝 家齊 ☆9.3 越智直澄、後安永五筆写の「義士文章」(明和5年筆写)を写す〔纂書1〕。 長邦 斉賢
文政12 1829 己丑 仁孝 家齊 長邦 斉賢
文政13
天保元
1830 庚寅 仁孝 家齊 ★12.10 改元。 長邦 斉賢
斉粛
天保2 1831 辛卯 仁孝 家齊 ☆3.28 浅野長邦致仕し、一學長年家督を継ぐ〔播磨赤穂浅野家譜〕。 長邦
長年
斉粛
天保3 1832 壬辰 仁孝 家齊 長年 斉粛
天保4 1833 癸巳 仁孝 家齊 長年 斉粛
天保5 1834 甲午 仁孝 家齊 ☆12.26 浅野長年、書院番に入る〔播磨赤穂浅野家譜〕。 長年 斉粛
天保6 1835 乙未 仁孝 家齊 ☆磐城平藩士鍋田三善(晶山)、朽木老君所蔵の「義士親類書」(寛政9年筆写)を借りて筆写す〔纂書1〕。
☆F 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、越智尚斎より浅見絅斎「赤穂四十六士論」を借りて筆写す〔纂書1〕。
長年 斉粛
天保7 1836 丙申 仁孝 家齊 ☆12.3 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、書肆堀屋蔵本「赤城盟伝」を筆写す〔纂書1〕。 長年 斉粛
天保8 1837 丁酉 仁孝 家齊
家慶
☆正下旬 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、「浅吉一乱記」を謄写す〔纂書1〕。
☆2.下旬 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、佐久間太華「断復讐論」(崇高堂蔵版)を筆写す〔纂書1〕。
☆3 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、朽木老君蔵本「泉岳寺書上」を筆写す〔纂書1〕。
☆11.6 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、朽木老君蔵本「浅野内匠頭分限牒」を筆写す〔纂書1〕。
長年 斉粛
天保9 1838 戊戌 仁孝 家慶 ☆4下旬 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、越智氏蔵本「義士文章」(文政11年筆写)を写す〔纂書1〕。
☆C.1 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、越智氏蔵本「大洲先生四十六士論」を筆写す〔纂書1〕。
☆C.2 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、紀州藩教官白鶴義斎より「一武人四十六士論」を借りて筆写す〔纂書1〕。
☆C上旬 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、白鶴義斎・遠藤氏秘蔵本「野夫談」を乞い受けて筆写す。
☆C 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、手島勝従筆写「鳩巣先生義人録後語」を千坂一学より借りて筆写す。また、「五美談」を紀州藩白鶴義斎秘本を乞い請けて筆写す〔纂書1〕。
☆7.4 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、磐城平藩士鍋田三善(晶山)、紀州藩白鶴義斎より牧野直友「大石論七章」を借りて筆写す[纂書1]。
☆8上旬 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、内野正方「魚躍伝」書肆堀屋本を筆写す[纂書1]。
長年 斉粛
天保10 1839 己亥 仁孝 家慶 ☆4上旬 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、越智直澄蔵本「赤城士話」を筆写す[纂書1]。磐城平藩士鍋田三善(晶山)、「赤穂義士論」を借りて筆写す〔纂書1〕。
☆6.1 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、既に筆写していた書肆堀屋蔵本「赤城盟伝」を山本烏有蔵本赤穂叢話を以て校合す。また、内野正方「魚躍伝」を茶禅山本氏蔵本赤穂叢話を以て校合す〔纂書1〕。
☆6.8 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、浜松藩田口氏蔵本「四十六士批判一巻」(萩原房良筆写)を筆写す〔纂書1〕。
長年 斉粛
天保11 1840 庚子 仁孝 家慶 ☆8上旬 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、山崎美成より「涙襟集序目」を借りて筆写す〔纂書1〕。 長年 斉粛
天保12 1841 辛丑 仁孝 家慶 ☆正下旬 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、水戸藩青山延光より「義人遺草」を借りて筆写す〔纂書1〕。
☆4上旬 磐城平藩士鍋田三善(晶山)、甲斐荘君より「多門伝八郎筆記」を借りて筆写す〔纂書1〕。
☆9.11 越智直澄、磐城平藩士鍋田三善(晶山)のために山本北山(信有)「義士雪冤」を筆写す〔纂書1〕。
長年 斉粛
天保13 1842 壬寅 仁孝 家慶 長年 斉粛
天保14 1843 癸卯 仁孝 家慶 ☆6.25 浅野長年、領地のうち安房国平郡川名村をあらためて同国長狭郡奈良林村のうちを賜る〔播磨赤穂浅野家譜〕。 長年 斉粛
天保15
弘化元
1844 庚辰 仁孝 家慶★12.2 改元。 長年 斉粛
弘化2 1845 乙巳 仁孝 家慶 長年 斉粛
弘化3 1846 丙午 仁孝
孝明
家慶 長年 斉粛
弘化4 1847 丁未 孝明 家慶 長年 斉粛
弘化5
嘉永元
1848 戊申 孝明 家慶 長年 斉粛
嘉永2 1849 己酉 孝明 家慶 長年 斉粛
嘉永3 1850 庚戌 孝明 家慶 長年 斉粛
嘉永4 1851 辛亥 孝明 家慶 長年 斉粛
嘉永5 1852 壬子 孝明 家慶☆B1 浅野長邦没(「播磨赤穂浅野家譜」には閏2月2日とあり)。法名「淨邦院殿閑窓蓮夢大居士〔泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘〕。 長年 斉粛
嘉永6 1853 癸丑 孝明 家慶
家祥(家定)
長年 斉粛
嘉永7
安政元
1854 甲寅 孝明 家定 長年 斉粛
安政2 1855 乙卯 孝明 家定 長年 斉粛
安政3 1856 丙辰 孝明 家定 ☆6 赤穂城内旧大石邸長屋門建替えられる〔大石邸長屋門安政三年棟札〕。長年 斉粛
安政4 1857 丁巳 孝明 家定 長年 斉粛
安政5 1858 戊午 孝明 家定
家茂
長年 斉粛
慶熾
長訓
安政6 1859 己未 孝明 家茂 長年 長訓
安政7
万延元
1860 庚申 孝明 家茂 ★3.18 改元。
☆B.26 井伊大老を襲撃した水戸浪士関鉄之介(襲撃指揮者)・岡部三十郎及び森山敏之助、讃岐丸亀より播州赤穂に着船して花岳寺の大石手植の松・四十七士肖像を拝見す。同日発って姫路へ向かう〔庚申蓬日録〕。
長年 長訓
万延2
文久元
1861 辛酉 孝明 家茂 ★2.19 改元。
☆4.24 赤穂城本丸御殿(藩庁)、上棟建替す〔赤穂城本丸御殿玄関板書〕。
長年 長訓
文久2 1862 壬戌 孝明 家茂 長年 長訓
文久3 1863 癸亥 孝明 家茂 ☆4.18 近江水口藩士西村竹三郎利之の三男、冨森篤三郎正義(のち篤)として冨森家相続が認められ、藩主加藤家より5人扶持を与えられる(冨森家再興)〔水口藩士先祖系譜録〕。
☆7.28 浅野長年没(「播磨赤穂浅野家譜」には9月15日とあり)。法名「潤光院殿月照賞輪大居士」〔泉岳寺赤穂浅野家墓碑銘〕。
☆9.15 浅野長年長男長榮父の遺跡を継ぐ〔播磨赤穂浅野家譜〕。
長年
長榮
長訓
文久4
元治元
1864 甲子 孝明 家茂 ★2.20 改元。
☆11.7 浅野長榮、書院番に入る〔播磨赤穂浅野家譜〕。
長榮 長訓
元治2
慶応元
1865 乙丑 孝明 家茂 ★4.8 改元。 長榮 長訓
慶応2 1866 丙寅 孝明 家茂
慶喜
長榮 長訓
慶応3 1867 丁卯 孝明
明治
慶喜 長榮 長訓
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