年 号
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西 暦
| 干支 | 天皇 |
内閣総理大臣
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事 項
| 本家 |
明治45
大正元 | 1912 | 壬子 | 明治
大正 | 西園寺公望
桂 太郎 |
☆1 大石旧邸保存会の役員改選[創建記録・歴史]。大阪莫大小商有志の寄付による注連柱1対、赤穂大石神社拝殿前に竣工[創建記録・歴史]。
☆2.22 大石良雄は細川邸より逃れて福島県南会津郡田島に来たり、寛保元年正月朔日に檜澤村にて死去せしという「大石生存説」起こる。幾多の証拠ありて信ずる者少なからずという[新聞集成明治編年史・東朝]。
☆2 神戸赤穂人会に大石神社建築会神戸支部設置す。支部長に大国真太郎就任(後に大石神社前に二反歩水田を購入し、大石神社に寄進す)[創建記録・歴史]。赤穂大鳥居建設のため6間巾道路の地揚げ工事に着手[創建記録・歴史]。赤穂大石神社祝詞門並びに本殿周囲透塀工事始まる[創建記録・歴史]。
☆3 大阪宮崎元治寄付の大石燈籠1対、赤穂大石神社に到着。据付の工事始まる[創建記録・歴史]。元岡竹治・松田栄吉周旋にかかる赤穂大石神社社殿前玉垣東西30間完成す[創建記録・歴史]。
☆4.4 赤穂大石神社春祭[創建記録]。
☆4 大阪竹原友三郎寄附による「義芳」の標石1基、赤穂大石神社社前玉垣前に竣工[創建記録・歴史]。
☆5 赤穂大石神社本殿建物竣工(流造・屋根檜皮葺)[創建記録・歴史]。赤穂大石神社、拝殿建築の工事契約を行い着工す[創建記録・歴史]。
☆6 赤穂大石神社神饌所建設工事に着手す[創建記録・歴史]。赤穂浜本源二郎・大阪浜本隆一郎より赤穂大石神社へ奉納の石燈籠1対、社殿前に据付[創建記録・歴史]。
☆7 大石旧邸保存会会長森忠恕子爵、病気のため会長を辞任。同時に保存会事務所を赤穂花岳寺より大石旧邸長屋門内に移す[創建記録・歴史]。
★7.30 改元。明治天皇崩御につき赤穂大石神社で奉告祭を行う[創建記録]。
☆10 神戸真殿理吉ほか有志の寄附によって赤穂大石神社本殿北門(流造・屋根銅板葺)竣工[創建記録・歴史]。
☆10.14 かねて療養中の赤穂花岳寺住職釈種仙珪和尚遷化す(75歳)。大石旧邸保存会より花輪を贈り香典を供え祭文を奏して弔す[創建記録・歴史]。
☆10 大阪松島遊郭事務所寄附の赤穂大石神社祝詞門前の敷石完成す[創建記録・歴史]。大阪富岡一郎寄附周旋の手水舎(入母屋造・尾根瓦葺)完成[創建記録・歴史]。大阪西海作治郎・宮崎元治より赤穂大石神社へ寄附の神殿前石燈籠1対据付終わる[創建記録・歴史]。
☆11初旬 神戸岡本辰治より赤穂大石神社本殿前に青銅燈籠1対奉献[創建記録]。明治44年3月起工の石造大鳥居(角形明神造・大阪豊国神社の石角鳥居を模す。「大石神社」の扁額は貴族院議長徳川家達公爵の揮毫による)竣工す。寄付者大阪北村邦太郎[創建記録・歴史]。大阪富岡一郎・赤穂井上平治郎より赤穂大石神社奉献の拝殿前石造狛犬1対完成(狛犬の「致誠」の文字は富岡鉄斎筆)[創建記録・歴史]。宮崎元治より赤穂大石神社へ寄附の表参道大石燈籠据付工事完了[創建記録・歴史]。大阪赤埴慶蔵より赤穂大石神社へ寄附の「大石大夫遺愛桜」標石建立成る[創建記録]。大阪太田博吉、赤穂大石神社へ[大石神社」の社号標石を寄付。表参道入口に建立[歴史]。
☆11.4 赤穂大石神社本殿落成につき遷座祭並びに仮竣工式を挙行す[創建記録・歴史]。大阪朝日新聞神戸附録『大石神社建立記念号』発行[歴史]。
☆11 故柳沢吉保(甲府藩主・側用人)に従三位が贈位される〔贈位諸賢伝 下〕。
☆12 台湾山田光太郎・大阪長田捨蔵より赤穂大石神社へ寄附斡旋の神饌所(入母屋造・屋根瓦葺)1棟竣工[創建記録・歴史]。
☆是歳 東京帝国大学助教授佐野静雄、大石家当主洋造代理人奥田吉男より「大石家史料」を預かる。清水半一より赤穂大石神社へ寄附の鎖垣、大石邸長屋門前に設置される[新義6]。 |
長勲 |
大正2 |
1913 |
癸丑 |
大正 |
桂 太郎
山本権兵衛 |
☆1.17 浅野侯爵家勤務で大石家当主大石洋造(良孝)死去、法名玄洋院大安中道居士。東京泉岳寺に葬られる[後藤武夫伝・新撰大石系図]。
☆1 赤穂大石神社拝殿(入母屋造・屋根檜皮葺)竣工す。また、拝殿前に赤穂福井孫平寄附による敷石完成す[創建記録・歴史]。赤穂大石神社社務所の建設に着手す[創建記録]。大阪田村亀吉より赤穂大石神社へ寄附の浅山神社(祭神浅野家三代・山鹿素行)社殿並びに瑞垣など竣工す[創建記録・歴史]。清国天津の福浦重吉より赤穂大石神社へ寄附の祭器庫(土蔵造・屋根瓦葺)竣工す[創建記録・歴史]。
☆5 朝日新聞社周旋にて赤穂大石神社に社務所兼神札授与所(入母屋瓦葺)竣工[歴史]。
☆7 赤穂大石神社祝詞門(破風造・屋根檜皮葺)並びに本殿周囲の透塀など竣工す[創建記録]。
☆11 故山中献(泉岳寺勅使)に従三位が贈位される〔贈位諸賢伝 下〕。
☆12 赤穂花岳寺釈種蓬仙・三木謙州上京し、大石良雄介錯人安場一平後裔安場末喜男爵を訪問。赤穂大石神社建築の件並びに大石旧邸保存会会長の就任を要請し承諾を受く[創建記録・歴史]。 |
長勲 |
大正3 | 1914 | 甲寅 | 大正 | 山本権兵衛
大隈重信 | ☆9 三木隆治・柴田亀太郎・宮崎寅治・柴田善太郎・福井孫平・三木謙州・田淵淳蔵・釈種蓬仙等、連署を以て赤穂大石神社建設費用の不足分3400円を備前大饗恭三より借り入れる[創建記録・歴史]。赤穂大石神社境内の吉田忠左衛門兼亮遺愛桜瑞垣竣工す(寄付者明石郡小学校職員生徒並びに佐用郡・揖保郡有志)[創建記録・歴史]。
☆是歳 西村豊、福本日南作成の「堀部金丸覚書」影写本の臨写本を作成する。 |
長勲 |
大正4 |
1915 |
乙卯 |
大正 |
大隈重信 |
☆1 赤穂花岳寺釈種蓬仙、大石神社の竣工を記念して裏に四十七義士名を彫刻の神鏡1面を奉献。本殿に奉安す[創建記録・歴史]。
☆6 明治32年出願の赤穂大石神社祭神中の誤謬訂正を出願す[創建記録・歴史]。
☆是歳 侯爵浅野長勲、赤穂大石神社に参拝。花岳寺釈種蓬仙案内す[新義4]。
☆秋 赤穂花岳寺釈種蓬仙・宮崎大石神社総代、東京浅野本邸に参向し、大石神社維持金寄附を請願す[新義4]。
☆11 御大典記念として赤穂大石神社境内に桧杉の植樹を行う〔創建記録・歴史〕。故浅野金之丞(長祚、家原浅野家当主)に正五位が贈位される〔贈位諸賢伝 上〕。故浅野幸長(和歌山藩主)に従三位が贈位される〔贈位諸賢伝 上〕。 | 長勲 |
大正5 |
1916 |
丙辰 |
大正 |
大隈重信
寺内正毅 |
☆2.28 皇民会有志によって義士会設立され、幹事長に福本誠(日南)が推薦される。
☆9 赤穂大石神社創建に際して先に借入れた大饗恭三より借金を元利ともに完済す[創建記録・歴史]。
☆11 故浅野長晟(広島藩主)に正四位が贈位される〔贈位諸賢伝 上〕。
☆是歳 赤穂城跡大手高麗門跡に「忠魂義膽」大〆柱(東郷平八郎揮毫)建立される[新義60]。 | 長勲 |
大正6 |
1917 |
丁巳 |
大正 |
寺内正毅 |
☆10 東郷平八郎源水揮毫による「忠魂義胆」の赤穂城跡大手門華表竣工(寄付者清国天津在住の西本茂吉)〔創建記録・歴史〕。
☆11 故浅野重晟(広島藩主)に正四位が贈位される〔贈位諸賢伝 上〕。 |
長勲 |
大正7 |
1918 |
戊午 |
大正 |
寺内正毅
原 敬 |
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長勲 |
大正8 |
1919 |
己未 |
大正 |
原 敬 |
☆2 東京帝国大学文学部史料編纂掛、佐野静雄保管の「大石家史料」を借用す。
☆5.4 後藤武夫、大石家当主良興の後見人となる。
☆5 東京帝国大学文学部史料編纂掛、佐野静雄保管の「大石家史料」を借用す。
☆11 故浅野長直に従三位が贈位される〔贈位諸賢伝 上〕。 |
長勲 |
大正9 |
1920 |
庚申 |
大正 |
原 敬 |
☆5 浅野長直贈位奉告祭兼250遠忌。侯爵浅野長勲、赤穂花岳寺大法会関係者へ酒肴料として金300円を与える。浅野長廣後裔浅野長和、赤穂大石神社へ金500円を寄附す。
☆ 福本日南、「早水家文書」(義士早水藤左衛門満堯の家に伝来)を調査する。 |
長勲 |
大正10 |
1921 |
辛酉 |
大正 |
原 敬
内田康哉
高橋是清 |
☆3 東京帝国大学史料編纂所、西村豊作成の「堀部金丸覚書」臨写本の影写本を作成する。
☆5.15 生田神社主典飯尾巌夫(赤穂大石神社社掌飯尾定雄子息)、赤穂大石神社社掌として帰郷す[新義6]。 |
長勲 |
大正11 |
1922 |
壬戌 |
大正 |
高橋是清
加藤友三郎 |
☆11 赤穂大石神社社格昇進の基本金捻出のため七掛け6600円の崇敬講を起こして、これも維持基本金に加える[創建記録・歴史]。 |
長勲 |
大正12 |
1923 |
癸亥 |
大正 |
加藤友三郎
内田康哉
山本権兵衛 |
☆3.7 内務大臣より史蹟保存法に基づく史蹟として「大石良雄宅阯」が国史跡の指定を受ける[新義6・歴史]。
☆6 赤穂大石神社社掌飯尾巌夫、兵庫県皇典研究所支所より赤穂郡(赤穂・相生・上郡)支部長並びに講究所支部監事、次いで理事に当選す[歴史]。
☆是歳 赤穂大石神社に宮司職舎建つ[新義60]。赤穂大石神社社掌飯尾定雄死去[新義6]。 |
長勲 |
大正13 |
1924 |
甲子 |
大正 |
山本権兵衛
清浦奎吾
加藤高明 |
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長勲 |
大正14 |
1925 |
乙丑 |
大正 |
加藤高明 |
☆4 赤穂大石神社春祭に際して初めて神幸式が行われる[歴史]。
☆6 東京帝国大学史料編纂所、冨森長太郎氏所蔵の文書を影写[冨森文書]。
☆是歳 「大石家史料」を保管していた佐野静雄死去。
☆8.3 後藤武夫・大石良興、東京帝国大学文学部史料編纂掛に対して「大石家史料」の借用証書を出すよう請求す。
☆9.7 東京帝国大学文学部史料編纂掛、後藤武夫・大石良興に対して「大石家史料」の借用証を発行す。 |
長勲 |